ウガンダでのインターン、国際会議の運営、スタートアップ養成プログラム、ソーシャルビジネスコンテストやソーシャルビジネスサークルの運営...数え切れないほどの活動をされている朋さん。大学生活で経験した転機や、その行動力の源泉について迫りました。
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谷口朋さんプロフィール
福井県の県立高校出身。2018年、理科二類合格(薬学部推薦)。薬学部に進学し、大学院への進学を予定している。 GNLF, JNSA基金,TOEGなどさまざまなサークルで活動するかたわら、ウガンダでのインターンや起業プログラム, ベンチャーキャピタルでのインターンにも参加。現在「ソーシャルビジネス」に焦点を当て、東大の社会起業コミュニティFor Earth代表を務めている。
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1. 高校時代
ー朋さんこんにちは、今日はよろしくお願いします!
まずお聞きしたいのが、朋さんの高校時代のお話です。高校時代は具体的にどのようなことをされていたんですか?
私は中学の頃から、福井の外に出て、もっと広い世界を知りたいなと思っていました。なので、なんらかの形で海外に関わることをやっていました。具体的には、英語ディベートや英語弁論をしたり、マレーシアでホームステイしたり、高校生新聞記者としてアメリカに渡航したり。
その他には、高校がSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に指定されていたので、乳化に関する研究活動にも取り組んでいました。自分が、「まだ誰も見たことのない現象の最初の目撃者になる」ということにすごくワクワクしたし、自分が立てた仮説を検証してみたら仮説とは違う結果が出る、みたいに思ってもいなかったことが起こるのが楽しかったです。その研究の成果を全国課題研究発表会で発表したり、化学グランプリに出場したりしていました。
ー朋さんの海外経験のなかで、一番心に残っている経験はなんですか?
一人で行ったマレーシアでのホームステイが一番大きかったかな。多文化社会に「生活者」として入っていった初めての経験だったので。
私は福井の田舎の方で生きてきたので、「他民族が一緒に暮らす環境の中で、他人の文化を尊重して生きるとはなんぞや」ということがよくわからなかったんですよね。
その状態でマレーシアに行って一番印象に残ったのが、現地の子と一緒にバトミントンをやっていた時。マレーシアにはムスリムの人もいるから、礼拝の時間になったらムスリムの子達はバドミントンをやめて礼拝をするんだけど、ムスリムじゃない子達も練習を一旦ストップして、自然とその子達が礼拝できる環境を作っていたんですよ。一緒に礼拝するわけではなくて、干渉はしないけど、相手が心地よくいられる空間を一緒に作っていく、みたいな感じ。それを受けて、「あ、他の人を考えて生きていくってこういうことなのかな」って思いました。
2. 「生まれによる格差」と「顧みられない熱帯病」、その解決のため薬学部へ
ー朋さんはかなり海外に焦点を当てて活動されている印象を受けたのですが、薬学部を志望した理由を教えてください。
実は、高校に入った頃は医学部進学を目指していました。小学校に東南アジアに行った経験から、ずっと格差問題に興味があって。というのも、小4の時にカンボジアに旅行に行ったんだけど、私と同じくらいの背丈の子が物乞いをしてきたんだよね。そこから、「なんで生まれた場所が違うだけでこんなに生活が違うんだろう」という問題意識をずっと持っていました。その中で、私は、一番格差があってはいけないのは人々の健康だと思っていました。だから、人々の健康を守る医者という立場から、医療格差を解決していきたいと漠然と考えていました。
私が高2の頃に、大村教授がノーベル賞を受賞して、それをきっかけに「顧みられない熱帯病」っていう問題があることを知って。そこで、製薬の構造によって生まれてしまった問題について知りました。具体的にいうと、薬の開発ってすごくお金がかかるから、富裕層に患者が多い病気に比べて、貧しい患者が多い病気って研究が進まなくて、医薬品が開発されないという問題があって。高校生ながら「これ歪んでるな」って思って、それを解決するにはどうしたらいいんだろうとずっと考えていました。
私は身近に医者がいたので、その人に話を聞いてみたところ、「医者は患者さんに近いから、患者さんに直接医療を届けることはできるけど、その分すごく属人的な仕事になってしまう」らしいんです。それを聞いて、私はやっぱり、「自分がそこにいなくても、自分が死んだ後も誰かを救い続けられるものを作りたいな」と思いました。それに加えて、「医者になってから製薬に関わるということもできるけど、それはすごく遠回りだな」とも感じてしまって。医者は実際に薬に関われるのが大学入学の8年後くらいなのに対して、薬学部に行けば入学4年後くらいには薬の研究に関われるから、最短ルートである薬学を勉強したいと思いました。
ーじゃあ、薬学部を目指す上で、東大を選んだ理由はありますか?
やっぱりリソース(人・モノ・金)が一番豊富だからかな。人の面でいうと、東大生ってルールメーカーになる人が多いと思うんですけど、そういった人たちと繋がりを持って切磋琢磨できる環境を得られるのは素敵だなって思っています。
あとは、高校時代に東大研修に行った時に、薬学部で研究していた人がすごく楽しそうで。私は研究をしっかりやりたかったので、それがすごく好印象でした。
3. 「国際機関で働きたい」入学直後の朋さん
ー次に、東大に入学した頃の話について聞かせてください!東大に入ったころは、何かやりたいことは決まってましたか?
そうですね、入学当時は、漠然と将来は国際機関や公的機関で働きたいと思ってました。 さっき、「かえりみられない熱帯病」が残っているのは製薬企業の仕組みのせいだってチラッて言いましたたよね。それは結局資本主義の仕組みのせい、つまり、ビジネスは悪いもの、資本主義は悪いものだと思っていたんですよ。経済合理性の中で生きるから、お金になるものだけ薬を作って、お金はならないものは無視する。私はそんな世界の中で生きていたくない!私は経済合理性から離れたところでキャリアを積んでいきたい!って思ってました笑。
それで、1年生の間は国際会議にたくさん参加していました。あとは、大学に入ったらアフリカに行こうと高校の時から心に決めていたので、アフリカでのインターンに申し込んで、その渡航の準備をしていましたね。
4. アフリカで感じた公的機関の限界
ー最初は国際機関や公的セクターに興味があったというお話がありましたが、今はFor Earth(東大の社会起業コミュニティ)の代表をやったりHult Prize(ソーシャルビジネスに焦点を当てたビジネスコンテスト)の運営をやったりしていて、ソーシャルビジネスに朋さんの興味が移っている気がします。その変化の要因や理由について教えていただけませんか?
まず、前提として、ソーシャルビジネスが正解だと思っているわけではなくて、もちろん国際機関や公的機関からのアプローチも必要だと思っています。でも、2年生の頃に、それだけではダメだな、って公的機関の限界を感じました。それは、1年生の春休みに行ったウガンダでのインターンの経験が大きかったなと思います。
私は6週間ウガンダに滞在して、病院でインターンをしていました。ウガンダの病院はGovernment HospitalとPrivate Hospitalの2種類に分かれていて、私はGovernment Hospitalの方にいました。そこは無料で医療が提供されるんだけど、無料だからこその課題も抱えていて。
経済的な権限がないことってすごく不自由だなって思いました。それは、公的機関が結局他者からの寄付で成り立っていることが多いって意味です。ウガンダのGovernment HospitalはアメリカのUSAIDっていう機関から物資の提供を受けているんだけど、薬がなくなってしまった時があって。それで担当者の人に「新しい薬頼まないんですか?」って聞いた時に「私たちは自分から必要なものを頼んでいるわけじゃないの。USAIDから送られたものを配っているだけだから、向こうが供給を止めてしまったらどうしようもないんだよね。私たちにはお金がないから、決定権はないの。」って言われて。それって、本当に必要なものを届けられてないなって思ったんですよね。
ウガンダから帰った後にNGOでちょっと働いていたんだけど、その時も同じことを思った。公的機関は自分でお金を稼いでいないから、基本的には寄付で運営してるのね。だから、寄付をしてくれる人をたやしてはいけない。そのために、寄付をしてくれる人の顔色を伺うようなことをしなくちゃいけない。 たとえば、経済的に困窮している村Aと村Bがあって、そのどちらを支援するか決める会議に参加した。その時に、村人がどう困っているかを見るんじゃなくて、「村Aは日当たりがいいところだから、ここで農業プロジェクトをやると野菜がよく育ちそう。村Bは山間部で灌漑設備が整ってないから、ここでプロジェクトやっても成果出ないかもしれない。成果が出ないと報告書に書けないし、報告書に書けないと寄付を継続してもらえない。だから村Aを支援しよう」という話をしていて、経済的な自由度がないという制限は大きいなと思ってしまいました。
あとは、無償で医療を提供するからこそ、支援される側のオーナーシップ(※主体性を持ち、取り組む姿勢やマインドのこと)がなくなってしまうなと思った。 具体的にいうと、現地の患者さんが「全部無料だから、マラリアになったらまた薬貰えばいいや。蚊帳もくれって言ったらくれるし。」って言うとか。結核は薬を6ヶ月飲み続けないと治らないのに、ある患者さんは1週間くらいしか飲んでいなくて、それを聞いたお医者さんが「こっちはタダで医療提供してやってるのに!!」ってブチギレるとか。後でそのお医者さんに詳しく話を聞いてみたら、「こっちはわざわざ善意でやってあげているのに、彼らはその善意を無駄にするんだ。そんなやつに薬を与えていると思うと俺はやってらんねえよ。」って言ってて。「こっちはすごくいいことをしているのに、その意図を汲み取らない相手は悪だ」みたいな言い方ですよね。
ある英語が話せる患者さんに話を聞いてみると、「貧しくてその日の食べ物にも困っているから、薬を飲むどころじゃない。もらった薬は売ってごはんを買うお金にしている。」って言っていました。 他の村では、マラリア予防のための蚊帳を無料で配っているんだけど、それを魚を獲るための網にしているってところもありました。「蚊帳を使わないとマラリアになるよ」って注意したんですが、「いや、マラリアになってもタダで薬がもらえるから別にいいんだよ。」って。
あとは、結核になった両親がマスクをせずに家の中で普通に生活していて、その1歳の子供が結核になって重症化してしまった、っていう話を、そのおばあちゃんから泣きながら聞いたこともありました。
このようなことがあって、自分の健康や周りの人の健康に対して、自分が責任を持って行動しないといけないという意識が、「医療を無償で提供する・される」という依存関係が成立したときに歪んでしまうなって感じました。
ー支援を与える・与えられるっていう立場の差ができてしまったが故に、両者の関係がすごくいびつになるってことですよね。
5. ビジネスへの転換
ーそのように公的機関の限界を感じたからこそ、公的セクターじゃなくてビジネスで解決するのもありなんじゃないかと思ったんですか?
そうそう。もちろん、公的機関にしかできないことはあるし、その仕事ももちろん必要。でも、公的機関で課題解決するには限界がある。「じゃあ、どんな手段があるんだろう?」って思った時に、ビジネスに踏み込んでみました。もちろん今も、資本主義が格差を作り出すマシーンになっているとは思ってはいるんだよね。でも、その方向性を変えなければ、資本主義で再生産された問題を公的機関が下から救って片付けるという構造がずっと繰り返されるだけだって思っています。「だったら、資本主義の歯車の中に入ってみるのもありじゃない?」と思って、ソーシャルビジネスって手段の可能性を探っていったという感じですね。
ーでは、ビジネス関連ではどのような活動をされていたんですか?
実は、さっき言ったウガンダで「マスクプロジェクト」っていうビジネスのようなものを自分で始めていました。現地では結核がすごく深刻な問題で、特に小さい子供が重症化しやすいんだよね。でも、お店では大人用の紙マスクしか売っていなくて。日本では小さい子供が可愛い布マスクをつけているから、これをウガンダでもやって、布マスク文化を作ってみようと思いました。私がそれをやることで、ミシンの練習がしたいという女性の雇用を生むこともできました。現地は女の子の妊娠(girls pregnancy)の問題が深刻で、「妊娠する→学校からドロップアウトする→職もなく夫に従属して生きる→一夫多妻制なので、夫に捨てられてしまったら自分で身を立てていくことができない」という状況がうまれていた。そんな女の子たちが手に職をつけるために、裁縫やミシンを学びたいというニーズはかなり高くて。マスクだったら簡単に縫えるから、それでミシンの練習できたらいいよね、と思ってやっていました。
日本に帰ってきてからやっていたのが、環境負荷を減らすために、ペットボトルを減らそうというプロジェクト。私は「容器循環型社会」っていうのをコンセプトに、ボトルを使い捨てるのではなく再利用するビジネスを考えていました。これはコロナの流行もあって、頓挫してしまったんだけどね笑。
こんな感じで、2年生の時は自分が起業する側としてビジネスに関わってた。でも、3年生になって、ビジネスって、自分で事業をする側だけで回っているんじゃなくて、それを支援する人たちの存在があるからこそ回っているんじゃないかと思って。その人たちがみる景色はどんな感じだろう、と思った時に、VC(ベンチャーキャピタル)とかコンサル系に興味を持ちました。だから、VCでインターンしたり、ビジコン(※ビジネスコンテスト)を開催したりしていましたね。
ーでは、ビジネス系の活動をやっていて、一番やりがいを感じたことってありますか?
実は、ソーシャルビジネスをやっていて、「あ、よかったな」と感じることは実はあまりなくて。どちらかというと、社会課題の解決とビジネスを両立させることの難しさをここ1年は感じていました。やっぱりビジネスって、お金を持っている人の財布をどうこじ開けるかっていう思考回路になってしまうんだよね。それだと自分が思っている、社会課題解決にフォーカスしたソーシャルビジネスには直結しないっていう壁の高さを感じました。
でも、私は反骨精神の塊みたいなやつでして、だからこそやる気は出ているっていう笑。難しいからこそ挑戦してみたいと思っているし、今自分の周りにいるFor Earthの人たちも「難しいからこそ面白そうじゃん」って言ってくれる人たちなので、彼らと一緒に面白いことできたらいいなっていう気持ちが、自分が活動する原動力になってますね。
6. 「迷ったらとりあえずやる」行動力の源泉
ー朋さんは本当に色々な活動をされてますね笑 インターンとかその他の活動を見つけたきっかけってなんですか?
ウガンダのインターンはアイセック(※NPO法人 アイセック・ジャパン)で見つけました。海外系のインターンだとアイセックかProject Abroadがおすすめ。その他の活動でいうと、1つビジコンに出てみたらまた新しい活動について知った、というのが一つ。また、スタートアップがたくさん集まるカンファレンスにスタッフとして参加していたら、その関係者に「うちでインターンしない?」って言われてインターン行ったのがもう一つです。私の場合は、一歩踏みこんでみたら次の扉が開けた、みたいなことが多かったと思います。
私自身は「迷ったらとりあえずやる」っていうノリで生きているので笑。チャンスが目の前にあったらとにかくやってみる、ダメだったらそれは仕方がないから、誠意を持って撤退する。一度やってみる勇気があればなんでもやればいいと思っているし、実際にやってみてから開ける道の方が多いかなって考えています。決断のスピードが遅いと、人間はやらない理由ばかり考え始めるらしいので、少しでも興味があったらすぐに決断してしまう。そうすることでチャンスは降ってくるかなと思っています。
ーそれすごくわかります。いろんな活動に参加して、そこから放射線状に色々な道が開けてくることってありますよね。
間違いないですね。私なんか「苦手なことはなんですか」って聞かれた時に、迷わず「選択と集中」って答えますもん(笑)。私は早い変化が好きで、ずっと同じことをしているよりも横に世界が広がっていく方がワクワクするので、それが自分にあった大学時代の過ごし方なのかなと思っています。
7. 高校生に向けて
ーさっき、いろんなことに挑戦するのが大事だとおっしゃってたと思うんですけど、高校の時って、部活や勉強ばかりしていて社会に入って活動する機会ってあまりないじゃないですか。そのようなある意味閉鎖的なコミュニティの中で、色々な経験を積む秘訣はありますか?
やっぱり、降ってきたチャンスに飛びついてみるのは高校でも大事かなと思ってます。色々やるときに反対はされるけど、その反対を解決するために、自分で準備できることは最大限準備して、できないことは誠意を持ってできませんって言う。その上で自分のやりたいことを追求していたと思います。「相手がなぜ反対してくるんだろう」「どう説得したら納得してくれるんだろう」って考えて、周りが円満に自分の挑戦を応援してくれる環境を作るように意識していました。
ー最後に、高校生に対して伝えたいこととか、メッセージがあったら教えてください!
いい意味で楽観的に、未来と自分を信じて欲しいなって思います。過去と他者は変えられないけど、未来と自分は変えられるんですよね。
私は、物事は「自分で変えられるもの」「絶対に変えられないもの」「自分じゃない誰かなら変えられるもの」の3つに分かれていると思っています。変えられないものに時間を割いても無駄になってしまうので、「ここはおかしい、間違ってる」と思った時に、その原因を分解して、自分が変えられそうなところを見つけていくのがいいかなと思っています。それが、自分が世の中を変えることに繋がるのかなって。自分が変えられることが存在していること、それを自分が変えられる可能性を信じることを、私は自分にも言い聞かせているし、高校生にも伝えたいなと思っています。
ーありがとうございました!朋さんの行動力の源泉がわかった気がしてすごく面白かったです!