高校生や受験生に「東大生のリアル」を伝えるインタビュー企画第1弾は、津山(岡山)・大船渡(岩手)・飯舘村(福島)などなどいろんな地域を飛び回っている藤田太郎さんです。なぜ太郎さんは日本各地の地域に入って活動しているのか?実は入学直後は劣等感を感じていた?大学1年の頃に訪れた転機とは?
ーーーーーーーーーー
藤田太郎さんプロフィール
岡山県津山市出身。地元の高校を卒業後、1年間の浪人生活を経て2017年に文科三類に入学。その後、文学部社会学専修に進学し2021年3月に卒業。同年4月に民間企業に就職。
川人ゼミ、東大むら塾、東大おかやま愛好会、UTVCなどに所属。地域創生に関心を持ち、実際に地域に入っていきながら、まちづくり・コミュニティづくりに取り組む。2年時に参加した復興・創生インターンでは民間まちづくり会社「キャッセン大船渡」で市民大学「大船渡まちもり大学」を立ち上げ、現在も運営に関わっている。
ーーーーーーーーーー
1. 中高時代の太郎さん
ーこんにちは、太郎さん今日はよろしくお願いします!まず、太郎さんが中高時代にどんな方だったのかお聞きしたいです。高校時代から地域での活動に興味を持っていたんですか?
そうだね。もともと地域での活動には興味があって、中高6年間観光ボランティアをしてました。地元の観光協会の方とか、市役所の方と一緒に。それを通して地元の活性化とか、観光とかに興味を持ったことが全ての始まりだったかな。
ーそうなんですね!その中で東大を志望したのはなぜだったんですか?
僕の中では、地元を活性化したいっていう思いがずっとあって。そのために何が必要かと考えた時に、一度外に出てみるのがいいと思った。そこで、地元とは真逆で、人が全国から集まる東京という場所に身を置きたいと思って。あとは東京で学んだものを地元に持って帰ろうと考えて、東大を志望しました。「東大かっこいいじゃん」っていう思いも少しはあったかな笑
2. 東大に入学してみて
ーじゃあ、実際に東大に入学してどう思いましたか?
挫折と、「あ、違う」という違和感が最初だったかな。 もちろん、東大という環境にワクワクした気持ちもあった。僕は駿台で1年間浪人してから東大に入ったんだけど、浪人しているときは、そこで友人と一緒に「こういうことやりたいよね」という夢を語り合っていて。
でも、実際に入学してみて「あれ?」って。ひずみみたいな物を感じた。っていうのは、僕の思っていた東大像とは違っていたところがところどころあって。まずは、周りの東大生が自分がイメージしていた「東大生」とは少し違った。高校同期や塾友達などと一緒に、それこそ受験のノリで東大でも過ごしているように感じてしまって、「お前意識高くね?」ってよく言われた。それを聞いて、「あ、そっかぁ僕意識高いのか...」みたいに感じて、少し辛かった。
あとは、僕は入試合格最低点ギリギリで受かっていて。「僕って井の中の蛙だったんだな」って思った。その劣等感を感じた状態で周りを見てみると、周りの子たちの論理的思考力とか、アイデア力とか、議論を進める力とかに圧倒されてしまって。それで自信を失っちゃったかな。その時は「東大にいて自分に何ができるんだ?」とか、「想いはあるけど能力で負けてるな」とか思っていました。
ーそれめっちゃ私もわかります笑 今実際に感じているところです...
やっぱり東大に来た地方の子の一定数が感じることだよね笑
3. 入学直後の挫折...そこから生まれた転機
ー「東大入ったばかりの時は周りの議論についていけなかった」とおっしゃっていましたが、それはどういう状況でのエピソードなんですか?
それは岐阜県の美濃加茂市の地域創生プロジェクト【注1】でのできごと。 1S(※1年春学期)[川人ゼミ](※前期課程の学生が参加できるゼミ)で地域経済パートに参加してたんだけど、そこの先輩にこのプロジェクトに誘ってもらった。それで、夏休みに参加したんだよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注1】美濃加茂市の地域創生プロジェクト
総務省主催の「ふるさとワーキングホリデー」というプログラムを活用して、岐阜県美濃加茂市で行われた課題解決型地域創生プロジェクト。2週間美濃加茂市に滞在し、現地の企業での活動を通して地域の課題を探りつつその解決策を考える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1Sの夏休みの頃って、さっき言ったみたいな挫折を感じていた一方で、それでも東大の中で自分の立ち位置を守っていかなきゃいけないと思って結構無理していた時期で。
有名中高一貫校の学生に対抗意識を持っていて、自分を守るために自分の地域アイデンティティを過度に押し出してたんだよね。その状態で美濃加茂に行ってみたら、周りの有名中高一貫進学校のメンバーとの議論に全くついていけなくて。周りのメンバーが有名中高一貫進学校の生徒会役員とか文化祭実行委員長やってた子のなかに、一人地方出身の自分、みたいな。
その中では、とにかく周りの議論のスピードが速くて。アイデアを出すのが上手いやつ・それをまとめるのが上手いやつ・それを発展させるのが上手いやつ、というように、僕以外の4人で議論が発展していって、ついていけなくなってしまって。その時に「あれ?東大に僕がいる意味って何なんだろう?周りのやつすごすぎてついていけない!」って感じた。この時は、いわゆる「ガチプロ」(この言葉あまり好きじゃないんだけど笑)と言われる人たちを見て自信を失っていた時期だった。
ーそういった挫折から、「自分のやる活動はこれだ!」ってわかったターニングポイントがあったと思うんですが、それはどのような時でしたか?
まさに、その話が美濃加茂のプロジェクトで起きてるんだよね。
美濃加茂には2週間いて、最初の1週間で今言ったみたいな挫折を感じた。一方で、美濃加茂にいる中で地域の人と関わる機会って結構あって。飲み会で、そのプロジェクトで僕らのメンターみたいな役割をしてくれた人に「太郎ちゃん結構しんどくね?思ってることあったら言いなよ」って言われて。そこで「実は、今自分の立ち位置に悩んでて、自分がいる意味あんのかな、って感じてるんです」って言ってみた。
そしたら僕らの受け入れ担当の方が「太郎ちゃんには太郎ちゃんの強みがあって、太郎ちゃんにしかできないことがあるよ」って言ってくれたのね。
よくよく考えてみると、地域に入っていく上での人間関係作り、相手の気持ちを引き出して心を開かせるというところが、周りの4人に比べて自分は圧倒的に前に出ていたってところに気づいた。
東大の中にいる時には、自分に自信を持てなかったけど、美濃加茂に行って現地に入ってみることで、自分の強みに気づけた。それが僕の中での転換点だったのね。「大学の中にいるばっかりじゃ自分はダメだな。僕が生き生きするのは大学の中じゃなくて大学の外だ、地域の中にいるときだ」って気づいたのが、美濃加茂の2週間が終わった時だったね。
そこから僕は、美濃加茂を起点としていろんな地域に入っていこう、そして学んだことを地元に持っていこうって思ってて。で、今に至ると。
ー2週間で一気に考え方が変わるっていうか、ブレイクスルーみたいな経験ができるのすごい羨ましいな〜って思います笑
そうだね〜笑 あの2週間はすごい大きい2週間だったな。
ーさっき美濃加茂での地域の方々との交流のお話がありましたが、東京で地方の話を聞くことと、地域の人に実際に話を聞くことって、経験の質として全然違うものだと思うんですよ。そこで、どういうふうな違いを感じたっていうか、地域だからこそわかったこととかってありましたか?
それは、言い方が正しいのかよくわかんないけど、「学ぶ」と「活動する」の違いなのかなって。東京にいると、「学ばせてもらっている」ような感じ。情報として仕入れる・考えるっていうことはできる。
でも、地域に入ってできたのは、同じ作業をしながら、話を聞くこと。 ただ話を聞くだけじゃなくて、同じ時間を何か一緒にしながら過ごすっていうのが大きかったかなって。美濃加茂では梨を収穫しながらとか、仕分け作業をしながらとか、何かしながら話を聞くってことが多くて。そこだと自分も作業の大変さみたいなものを感じながら話せるから、こっちの言葉が、無意識のうちに向こうへのリスペクトを含んだものになっている。それに向こうも、信頼関係を築きやすい。そこは、現地で一緒に活動しながら話を聞くことの強みかなあって僕は思う。
ーあ〜なるほど、同じ経験を共有しながら、話ができるみたいな。
そうそうそう。それってやっぱりね、大学の教室で話を聞くのとは全然違うよね。
4. 地域を飛び回る!!
ーそのあとは地域で具体的にどのような活動をしていたんですか?
大きくいうと、川人ゼミ・東大むら塾・大船渡でのインターン・UTVCかな。 1年生の時は、今言った美濃加茂市のプロジェクトの後は、東京でいろんな地域コミュニティに顔を出していた。地域系の学生団体がやっているものとか、インターン仲介サイトがやっているものとか。そこで地域のコミュニティとの繋がりを作っていった。それと並行して、川人ゼミの地域社会パート長をして、地域系の活動に色々誘ってもらった。たとえば、熊本での震災復興に関する体験活動プログラムや山口で農作物の生産者さんの話を聞きに行くフィールドワークとかね。
で、2年生が終わる頃に、これまでは団体の1メンバーとして色々な地域を回ってきたけど、今度は自分の力で何か起こして力試しをしてみようって思って。そこで見つけたのが「キャッセン大船渡」っていうまちづくり会社でのインターンだった。それで、3年生になる春休みに1ヶ月半大船渡にいて、それがまたもう1つの転換点だったんだよね。自分のフィールドができたのがこの時期。インターンが終わってからも、自分が立ち上げた「大船渡まちもり大学」(※以下「まちもり」、詳細は後述)の運営で月1で大船渡に通ってました。
その後は大船渡を軸にして、UTVC(東大の被災地ボランティアサークル)で東日本大震災被災地のスタディツアーを企画したり、むら塾で飯舘村との地域連携プロジェクトを新しく立ち上げたり。後はソフトバンクの地域創生インターンに参加して、愛媛県の八幡浜市で1週間の課題解決フィールドワークをしたりしていた。この頃が一番、いろんな地域を飛び回ってたね〜。
5. 大船渡での第二の転機
ーお話を聞いていると、大船渡が太郎さんの学生生活後半の軸になっている感じだったので、大船渡のことについて、もっと詳しく聞かせてください! ーまず、なんで大船渡に行こうと思ったんですか?
自分のやりたいテーマである「商店街活性化」っていうテーマがキャッセン大船渡にあったから。自分の中での興味は、商店街とか中心市街地の活性化、あとは地域の人たちと関わる、地域の中に入っていくってこと。それに一番マッチしそうなインターンを募集してたのがキャッセン大船渡だった。
ー商店街とか中心市街地に興味を持ったのはどうしてですか?
理由は3つあるかな。 1つ目は、僕の地元が中心市街地活性化に失敗して、地元の中心市街地に課題感を持っていたこと。 2つ目は、1Sの授業で中心市街地に関する授業を受けて興味を持ったこと。 3つ目は美濃加茂で中心市街地活性化について活動している市役所の人との出会い。そこで、「面白い、こんな活動してる人いるんだ」って感じたし、これが1番の決め手かもしれないね(笑)。
課題意識を持っていたところに、授業を受けて「あ、こういう学問あるんだ」って気づいて、美濃加茂に行って実践できて、ハマった。地域コミュニティとかまちづくりとか、企業を超えた地域の人との繋がりから、何か新しいものを生み出していきたいと思って。
ー実際に、キャッセン大船渡でのインターンではどんなことをされていたんですか?
僕は、「大船渡まちもり大学」(※以下、まちもり)っていう市民大学を立ち上げました。キャッセンから与えられたミッションが「キャッセン大船渡を生活の場にする」ことだったんだけど、そのためにコミュニティ形成と人材育成ってところに目をつけて、地域の人が先生になって互いに教え合う場づくりをしたって感じかな。具体的に何をやっているかっていうと、まちづくりに取り組む人から、まちづくりの基本とその思いを聞いたり、実際にやってみたいことをプロジェクトとして立案してそれを実行したり。そのために地域の人が先生になる講義形式と、学んだことを形にするゼミ形式のイベントを開催していた。
ーインターンの前に、自分の中でプロジェクトの構想があったと思うんですけど、現地に行ったらそれは結構変わりました?
ガラッと変わった。全然変わった。最初は地域の人が集まって地元について語り合う会を企画したいと思ってた。大船渡に住んでいる人とか移住してきた人とか地域の学生とか、いろんな立場の人が集まって、飲み食いしながら自分がやりたいと思っていることを話したり、いろんな人たちの交流から大船渡の未来を考えたりする場所を作る。その場所として、キャッセン大船渡のテナントを活用したいなと思ってた。
現場のイメージが湧かないまま、「やっと仮案を作り上げた!」って感じで。でもそっから現地に入って、「学び」っていうテーマに変わった。「大船渡に大学がない」っていう話を聞いたところからそのアイデアが生まれて。「大船渡に大学を復活させたい」という思いから、「市民が自分から主体的に学ぶことで、まちづくりの担い手を育成する市民大学」を作って、町の課題を解決していけたらいいんじゃないかと。
ー大船渡に大学がないっていう課題感と、自分がもともと考えていることが一致して、「大船渡まちもり大学」が生まれたと。
そうだね!もやっとした興味とやりたいことだけ持っていって、そこに具体的なものが追加された結果、ちゃんとしたものができたっていう感じ。
高校生の、冬の商店街を盛り上げたい&自分たちで学園祭を作りたいというアイデアから生まれた「冬の学園祭」プロジェクト本番の時の写真。詳しくはこちら
ーまちもりを作っていく中で、ここは大変だった、うまくいかなかったみたいなことってありますか?
2点あって。 1点目は集客。うまくいかなかったわけじゃないんだけど、実際、外から学生が来て新しいものを立ち上げるってことに対して、すぐに賛同して動いてくれる人ばかりじゃないんだよね。webで宣伝しても「よくわかんない」って人が多かったから、とにかく広報を頑張った。「1年間のプロジェクト全体の設計」「各回のイベントの設計」「広報」の3つを同時並行で1ヶ月半のうちにやらないといけなくて。それで、「その間に2回イベントを打ちます」って言ってしまったから、各イベントの2週間前には広報を打たないといけない。今思えば、(こんな過密スケジュールで)あの時はよくやってたなあと(笑)。
で、広報なんだけど、メディアにプレス打つには打った。地元の新聞社とかFacebookとかに出したかな。でも結局のところ、自分の足で動くのが一番だなって。キャッセン大船渡側から「こういう人だったら興味あると思うよ」って言われた人に個別にアポとって、話聞きに行って、「こういうことやりたいと思ってて、ぜひ来てください」とか「ぜひあなたの話を聞きたいんで、講師側で来てくれませんか」とか、本当に1人ずつ地道にお誘いしていった。動き回った結果、30人くらい集まった。あれが一番大変だったけど意味があったことだし、直接足で回った結果地域の人たちに受け入れてもらえて、それからずっとその人たちとは繋がりがあるかな。
そして2つ目に、自分でやりたいと思ったものと地域が求めているもののギャップを埋め合わせるところが大変だった。最初は両者に齟齬があったりすることもあった。もともと僕は一般教養を重視していて。どういうことかって言うと例えば、大船渡に移住してきているフランス人の人にフランス料理とか文化とかを教えてもらおうとか、台湾に興味のある人に台湾について話してもらおうとか、ラグビーに関心のある人がW杯に向けて何かやってみようって感じで、「地域の人たちの、持っている特技を共有することで、生活の中で学びが得られる場」っていうのを最初はイメージしていた。
でも、それだと、参加する層がすごく限定されてしまうし、結局なんのためにやっているのかゴールが見えづらい。そこで、キャッセン大船渡としてやるというのもあって、「キャッセンの活性化につながるものがいいよね」という流れになって。その結果、「まちづくりに挑戦している人がどうしてその思いになったのか」にスポットを当てて、「まちづくり」に絡めて話をしてもらおうってなった。
ーまちづくりを軸にして、そこから派生した教養を教えてもらうって感じですか
そうそう。教養軸だったのをまちづくり軸に変えた。それことによってまちもり・エリアマネジメントとしてやっている意味が生まれたって感じ。
ー大船渡のインターンって1ヶ月半だったと思うんですけど、その後も1ヶ月に1回行き続けていたんですか?
そうそう、そんな感じ。本来は1ヶ月半のインターンが終わったらそれで終わり、年1か年2で遊びに来るって人が多い。だから僕みたいな人はめちゃくちゃレアだよね。ここまでする人間なかなかいないと思う(笑)。
ー太郎さんがインターンの後も大船渡に通い続けるのには、何か理由があるんですか?
それは、自分が立ち上げたものがあるから。 自分が立ち上げたものがどう変化していくのか見ていきたい、っていう気持ちがあって、さらにこれは自分がやっていることだっていう自覚があるから。ある会社のプロジェクトを支援したのではなく、実質自分が手をあげて発案したものでもあるから、自分の帰る場所だっていう意識がある。それが作れたところが、月1で通う一番大きな理由だよね。
ー自分が作ったもの、生み出したものへの愛着みたいな?
あるある。インターン1ヶ月半っていうのは僕の中の「終わり」ではなかったから。これは終わりじゃなくて、まだ始まったばかり、みたいな感じで。1ヶ月半は立ち上げるために動いて、実際に動かしていくのはここからだっていう。だから普通のインターンとは意識がそもそも違ったかな。
ーイメージとしては、1ヶ月半で土台を作って、そのあとは自分も関わりながら一緒にまちもりを成長させていく、って感じなんですね。
そうそうそう。
6. 高校生に伝えたいこと
ーそれでは、インタビューの最後として、高校生に向けてのメッセージをお願いします!
僕は、まず「なんとなく東大」でもいいと思っています。
ただそこで大事なのが「行動力と感受性を強く持っておくこと」かな。やりたいことっていつ出てくるかわかんないし、いつ変わるかもわかんない。少なくとも学部選択なんて何もわからない状態で選んだものだし、きっとこれから変わると思う。理科に入ったけど文科に行きたいかもしれないし、その逆も然り。そう思った時に動ける行動力と、そう思った時にそれを素直に受け入れる感受性が必要かな。そういうアンテナをもった上で大学に入ると、思う存分その環境を活かせると思います。東大は、やりたいと思ったらいくらでも手を差し伸べてくれる。でも、やりたいことがなかったら、何もない。特に今みたいにオンライン主流だと、自分で探しに行かないと何も見つからない。だからこそ、「何かやりたいと思った時にすぐに手を伸ばす」、っていう意識は持っておいて欲しいかな。東大って、生かすも生かさないも自分次第だけど、そういう意識を持っておくだけで、すごく楽しい学びの場になると思う。
あとは地方の子に向けて。(地方の子に限らないかもしれないけど笑)大学って大学の中だけに止まらないといけない場所じゃないよって。大学の外にでもいくらでも居場所はあるから、しんどくなったら大学の外に出ればいいよっていうのはすごく伝えたい。
ー太郎さんが東大に入った当初の状況にすごく共感して、言葉のひとつひとつが心に刺さりました。同時に、ここまで積極的に動いてきて、自分でプロジェクトを生み出し、成長させていっている太郎さんと自分とのギャップに気付かされて...。自分の中の何かに火がついたような感覚になりました!太郎さんほんとにありがとうございました!!
参考資料
川人ゼミ|UT-BASE前期教養学部ゼミ紹介
https://ut-base.info/circles/35
東大むら塾|UT-BASEサークル紹介
https://ut-base.info/circles/31
UTVC(東京大学復興ボランティア会議)
http://ut-vc.blogspot.com/
大船渡まちもり大学|キャッセン大船渡
https://kyassen.co.jp/mgmt-machimori/