■プログラムのイメージ
ここからは、当プログラムの発起人の一員である岩永さんが、実際に熊本県高森町に下見に伺った際の様子を記す。
(あくまでイメージであり、実際の内容や宿泊先とは異なる)
1日目
熊本空港到着後、レンタカーで奥阿蘇を目指す。
高森町は阿蘇山の南東側に位置しているため、行きしなに阿蘇山を横目に眺めることができる。熊本県と大分県を挟んだ山間の道に入る。細い道を進み突き当たりの山の谷間にかわべ養魚場はある。
出迎えてくれたのは、専務を務める村上寛直さんとその奥さんの打越友香さん(勤務中は旧姓で働いている)。お二人はもともと福岡市内で出会い、打越さんはまさか自分が山奥でヤマメやニジマスを育てるとは思わなかったと語っている。
かわべ養魚場は複数拠点がある。本拠には10個以上の水槽があり、ヤマメとニジマスが所狭しと泳いでいる。昨年の熊本豪雨の際に大きくダメージを受けながらも、自分たちで修繕しながら川魚を養殖している。
かわべ養魚場を始めた先代社長の話や、なぜ村上さんが険しい自然環境の中で川魚の養殖業を引き継いだのかを聞きながら、山間に点在する養魚場の施設を回った。
2日目
高橋さんが帰京して、残った岩永さんは実際に大学生が来たことを想定して養魚場のお手伝いをした。
村上さんは、作業を大きく分けると、養魚、発送、加工の3つに分かれると語っていたが、一つひとつ順番にやっていくわけではなく、実態はたくさんの種類の仕事を同時にこなしていく必要がある。
池の様子を確認して、
その日の作業を確認。
池の魚を網で集めて、必要な数の魚を大きさに注意しながら選別する。
魚を掴むのはとても難しく、掴もうとすると逃げてしまう。一緒に作業をした従業員の方に「優しく載せるように」とアドバイスをいただき、2日間かけて少しづつ上達した。
打越さんには「ヤマメの扱いは女の子と一緒です。彼女さんだと思ってデリケートに扱ってください」と言われてしまった苦笑。
体験中の様子(養魚場公式インスタグラム)
選別が終わったら、軽トラックに乗せて発送する。
そして、残った魚たちに餌をやる。
餌をやる様子(動画)
餌をやるのもただ放り投げるだけではなく、難しい。餌が満遍なく散らないとヤマメが食べてくれないので、スナップを聞かせて投げる必要がある。社員さんは丸を描くように広々と広がっていくが、岩永さんご自身は、何度やっても横一直線が精一杯だった。
注文の数は曜日に寄って違うが、突如注文が来てもいいように運送方法なども常に気を使っている。
同時に、産直SNS向けの甘露煮、塩漬け、薫製などの加工品製造もやっている。
岩永さんはニジマスの薫製の真空パックとシール貼りを手伝った。見栄えがいいように切り身を載せるのは打越さんの手仕事だ。
打越さん達の丁寧な仕事っぷらは徹底している。
段ボールに包装材(古新聞紙)を入れ、商品を入れたあとに様々な工夫を凝らす。段ボールに入れる手紙もその一つだ。
今回、包装させていただいたユーザーの方に僕から手紙を書かせていただいた。一人一人に感謝の気持ちを込める打越さん達の姿勢に心を打たれた。
そして、当然広い敷地のため、掃除も一苦労だ。
蜘蛛の巣を叩いたり、池を掃除する。
池の掃除を念入りにするのも養魚場ならではの理由があるが、それは実際に行ってみたときの秘密としたい笑。
高森町の近くに飛び込んでいた大学生も滞在中にやってきた。タンクトップのベンチャー社長と大学生が養殖の池の辺りでフラットに会話。素敵な時間だった。
このように、単純労働と切り捨てるには程遠い漁が行われており、それを間近で体験することができた。
読者の中には、「阿蘇の山奥で生きていく覚悟は自分には無理だな。」とか、「なぜ機械化せずに人の手でやっているのだろう。」などの感想を抱く人がいるかもしれない。
私は、そのような感想を持っている人たちにこそ、あえて行って欲しいと思っている。
この方たちの「生きる姿」は現地でしかわからないのだから。