大学院進学(院進)という進路について再考するため、前回は、東京都立大学教授の詫摩佳代先生にお話を伺った。
今回お話を伺うのは、山野弘樹さんである。山野さんは東京大学大学院の総合文化研究科でフランスの哲学者、ポール・リクールの研究を行っている。
さらにリクール研究に留まらず、著書『独学の思考法』の出版や、「VTuberの哲学」という新ジャンルの開拓、哲学のオンライン講座、ワークショップの開催など、アウトリーチ活動にも積極的だ。
山野さんからお話を伺う中で、今まで不明瞭に思えた「アカデミズムの世界へ進む意味」が言語化されていく感覚を得た。
院進という進路を進むべきか迷っている学生はもちろんのこと、「大学院で研究しても社会に出てから役に立たない。」と考えている学生にとっても、山野さんの考え方は大いに参考になるはずだ。
アカデミアの世界へ
ー院進を目指したきっかけはどのようなものでしたか?また、それ以外の進路についても考えていましたか?
アカデミックな道を積極的に選択したという自覚はありません。ただ、自分の頭でものを考えない状態ではありたくない、という否定的な契機が大きかったと思います。「自分の頭で考えている。」と考えていても、多くの場合は他者や書物からの受け売りに過ぎない。基本的に人は考えさせられているのだと思います。
僕にとって、考えさせられている状態というのは精神的な投獄であり、そのような人生を送ることに息苦しさを感じていました。哲学という学問をしているのも、「自分の頭でものを考えること」をしていきたいからです。この行為を集中的にできるのは大学院でした。
ーよく言われる院進の際の安定性・将来性の面でのリスクに関して、不安はありましたか?
なかったですね。というのも、僕にとっては中途半端に微妙な生き方をすることが最大のリスクだと考えていました。僕の中で、これだけは嫌だというのが明確にありまして、それは、論理的に説明がつかないことを言ってくる人が周りにいる環境でした。また、内容は論理的でも言い方が人徳的ではない人と関わり続けるのも嫌でした。
そのような環境ではまともに生きていけないと考えているうちに、徹底的に論理的に考える人が集まるアカデミアの世界へ、自然と導かれていきました。
アカデミアの世界で
ー山野さんはポール・リクールを研究していますが、数ある哲学者の中で、なぜリクールを研究しようと思ったのでしょうか?
僕は学部時代は史学科で学んでいたのですが、学部時代に初めて直面した哲学的な難問が、「人は客観的に過去をいかに知るか。」というものでした。もう過ぎ去ってしまったけれど、記憶の中にはあるという、曖昧な存在である過去について考えたかった。
ただ、歴史哲学においては極端な主張が多い傾向がありました。歴史について事実の記述のみが重要であるという立場や、歴史はフィクションにすぎない、小説と同じだという立場などです。
その中で、リクールはバランス感覚に長けた哲学者でした。歴史記述は完全なフィクションではないが、フィクションが組み込まれるとすればそれはなぜか。組み込まれるに然るべき良いフィクション性とは何か。彼の考え方は僕の肌感覚に合うものでした。
また、リクールは日本で先行研究が少ないこともあり、やるべき仕事も多いと考えていました。そのような理由から、リクールを研究しています。
ー若手の研究者にとって、先行研究が少ないものを研究することはチャンスがあるものなのでしょうか?
どちらとも言い難いですね。研究分野が盛んだと同業の研究者に見てもらえたり、研究成果を投稿できる媒体も多いです。ただ、奇抜すぎない程度で新規性のある研究を行う必要があります。
先行研究が少ないものは、担い手がいないので仕事はたくさんありますが、フィードバックを貰いづらいということはありますね。
ー山野さんは著書『独学の思考法』をはじめとして、哲学の考え方を実社会に活かすような活動を多岐に渡って行われています。なぜ積極的にアウトリーチ活動に取り組まれているのでしょうか?
外的な動機と内的な動機の2つに分けられると思います。外的な動機については、日本学術振興会特別研究員(学振)の存在が挙げられます。学振に採択されるための条件として、自分が行っている研究が社会に還元できるかどうかというものがあります。僕はこのことについて真面目に考えていった結果が、アウトリーチ活動に繋がっているのだと思います。
内的な動機については、実体験として感じた哲学の魅力を他の人にも体験してほしいということが挙げられます。多くの人と同じように、僕自身も哲学は個人が考えた以上のものではないという誤解を抱いていました。
しかし、哲学を学んでいく中で、人間の判断を可能にする思考のパターン、思考の原理は複数あり、それらを自分で吟味できるという哲学の魅力に気がつきました。思考の深度がぐっと深まるような知的快感を他の人にも感じてほしい。そのような思いからアウトリーチ活動を行っています。
ー山野さんは「VTuberの哲学」という新たな哲学のジャンルを開拓しました。新ジャンルの開拓は大御所の方が行うイメージが強いですが、自信を持って始められたのはなぜでしょうか?
これもアウトリーチ活動の一環だと捉えています。VTuber哲学を始めたのも、身近なテーマから哲学に興味を持つ人を増やしたいという思いからです。
VTuberは虚構とは言えないかもしれない。では、虚構とはどういったものなのだろう。どのような性質が備わった時に虚構と言えるのだろう。
「推し」のVTuberを応援することで自分も生きる活力が湧いてくる。なぜ自分を応援するよりも他者である「推し」を応援することの方が生きる意味を見出せるのか。自分と他者の関係性とは何なのか。意味とは何なのか。
テーマは身近なものでも、少し考えてみると様々な哲学的な問いが浮かび上がります。僕が執筆したVTuber哲学の論文が掲載された『フィルカル』という雑誌があるのですが「今回初めて論文誌を買ってみた。」という声を多くいただきました。その意味で、今まで哲学に関心がなかった層の方々にもリーチできている実感があり、今後も続けていこうと考えています。
コロナ禍における混乱が顕著でしたが、多くの人は思考の原理が複数あることが分からず、大抵の場合外からやってきたものに勝手に乗せられてしまっています。思考の原理を比較・検討・吟味できる人を増やしていくことが、これからの市民社会を維持していくために必要なものだと考えています。
ー山野さんは哲学に関するイベントの運営などの活動も積極的になさっています。そのようなビジネスのセンスのようなものはどのように養われたのでしょうか?
僕の場合、学術研究とビジネスの根っこは同じものだと考えています。論文の執筆も、ビジネスの企画書も、はじめに問題提起ありきなんですよね。問題提起によって人々の興味を引きつける。そして、新しいオプションであったり、新しい解釈であったりを提示する。
研究の訓練を重ねてきた人は、少し頭の使い方を変えるだけで、即座にビジネスに転用可能だと考えています。実は僕自身も数年前は起業しようかと真剣に考えたこともあります。
キャリア選択に悩む学生へ
ーキャリア選択に悩む学生へ、アドバイスをお願いします。
綺麗な言い方かもしれませんが、人生全体のビジョンを見据えてキャリア選択を行うことは大切だと思います。その観点からすると、「死んだ後、自分がウィキペディアに掲載されると想像して、どのように書かれたいか。」と考えてみるのはどうでしょうか。
人生全体を考えていれば、直近の5、10年は大したことはないと思います。全体のビジョンを見据えることは、身近なしがらみから自分自身を相対化してキャリアについて考えられるというメリットがあります。
一方で、ドロドロした面、つまり負のエネルギーについて考えてみてもいいと思います。負のエネルギーは「これだけは嫌だ。」という感情と「これだけは許せない。」という感情に分けることができるでしょう。
「これだけは嫌だ。」と「これだけは許せない。」という2つの負の感情と向き合うことは、キャリアを考える上でヒントになるものだと思います。この2つの感情はぜひ見つけてほしいですね。
ー最後に、研究者を目指す学生へ、一言お願いします。
大学院は学術的なアプローチを身につけ、共に問題意識を共有している仲間と出会うことができる場所です。このような経験は、負の感情に立ち向かっていく力を養うことに繋がります。
「これだけは嫌だ。」と「これだけは許せない。」という2つの負の感情からどうしても目を背けることができないのであれば、一度アカデミズムの世界で訓練することは意義のあることではないでしょうか。
結びに
今回は山野弘樹さんからお話を伺った。
「アカデミズムの世界は自分の負の感情に立ち向かう武器を磨くことができる場所である。」
山野さんの言葉は、学術研究というツールが、自分自身に与えてくれる大きな力を教えてくださるものだった。