大学院進学(院進)という進路について再考するため、前回は株式会社日本総合研究所の熊谷章太郎さんと栂野裕貴さんにお話を伺った。
今回お話を伺ったのはアジア・パシフィック・イニシアティブ(API)の相良祥之さんだ。相良さんは東京大学公共政策大学院修了後、国連や外務省で国際政治や危機管理の実務を担い、2020年からAPIにて、シンクタンク職員として活躍している。
国際的なキャリアも、国内的なキャリアも、また、実務家としてのキャリアも、またシンクタンカーとしての研究者としてのキャリアも歩んできた相良さんのお話は、まさに多くの学生にとって進路を「再考」するきっかけになるはずだ。
院進について
ー院進の動機について教えてください。
学部時代は慶応義塾大学法学部だったのですが、慶応では国際政治や平和構築について勉強していました。卒論はコソボ空爆や人道的介入をテーマに執筆し、卒業後も研究を続けたいと思っていました。しかし、当時、先生から「いきなり大学院に進学してもつまらない。大学院に進んだら研究者になるしかない。」と言われ、一旦就職することを決めました。
卒業後は3年ほど株式会社DeNAにて働いた後、東京大学公共政策大学院へ入学しました。
ー学部生の頃から国際政治や平和構築にご関心があったというお話がありましたが、大学院の中でも公共政策大学院を選んだ決め手はどのようなものがありましたか?
公共政策大学院は実務家の先生が多く在籍しており、私自身が興味を抱いていた、実務としての平和構築について深く学ぶことができると考えていました。他にも駒場の人間の安全保障プログラムも良かったのですが、当時公共政策大学院には藤原帰一先生がいらっしゃったことが決め手となりました。
ー相良さんが進学なさった、公共政策大学院での学びについて教えてください。
紛争解決という仕事がどういうものなのかを、実務家の先生方の話を聞くことで理解を深めることができたのは良かったです。中でも北岡伸一先生と松浦博司先生の授業では、国連安保理決議が成立していくプロセスなど、政策のダイナミズムの実態を知ることができて大変良い経験となりました。
一方で、紛争解決を専門にしている先生方はやはり駒場にいらっしゃる方が多く、よく駒場に授業に行ったりもしました。
ー大学院で学んだアカデミックスキルは、相良さんのキャリアの中でどのようなところに活かせましたか?
大きく分けて2つあります。1つ目は、論理的思考力や政策文書の読み方など、政策分析・情勢分析の基礎となる能力です。シンクタンクもそうですが、大学院レベルの勉強をしていないと、このような能力が求められる仕事はできません。
2つ目は、国連で仕事をする際の必須条件ということです。グローバルスタンダードで認めてもらうためには修士号は必須です。
ー博士課程まで進学なさらなかった理由を教えてください。
博士課程に進むということは、自分の名前で世界に通用する研究成果を出すことが求められていると考えていました。ただ、自分の中でこのようなことは優先順位が高くなかったんですね。
また、国連職員の中でも、世銀などの国際金融機関では経済系の博士号が求められているのもありますが、国連の仕事ではプロジェクトマネジメントの実務経験が必須となっているものもかなり多くあります。
このプロジェクトマネジメント能力は、どこでも使えるスキルであり、日本人が比較優位があるスキルだと思っています。国連で大活躍している日本人もコーディネーションや、物事をオーガナイズすることに長けている人が多い印象を受けました。そのため、民間企業でプロジェクトマネジメントを勉強できたというのは、グローバルな人材として、活躍していく上では、いい経験になりました。
ー先ほどお話してくださったアカデミックスキルの能力に関してですが、やはり博士課程で3年ほど修行を積むとまた能力が伸びるという側面もあると思うのですが、そこはやはり実務と乖離してくるような側面もあるという感覚なのでしょうか?
そこはシンクタンクになってくると難しいところですね。先ほど言った通り、国連で仕事をする、あるいは外交官として仕事をする上では、博士レベルのスキルまではいらないことも多いです。ただ。シンクタンクで仕事をしてくるっていうふうになると、実際にやってることが博士号を持ってる人と似たようなことになります。
自分のアイディアを立論して、1冊本かけるだけ、研究ができるっていう能力を示すのが博士号なので、やはりシンクタンク研究者にも同じことを求められます。そういう意味では、アメリカなどでシンクタンクで活躍してる人は博士号を持ってる人が多いということはありますよね。
シンクタンクの中では、実務経験と、博士号レベルのアカデミックスキルのどちらかを持ってるっていう人が多いと思うので、皆がそれらの能力や経験を組み合わせながらサバイバルしてるという感じですかね。
研究の場としてのシンクタンクの強み
ー研究の場として、シンクタンクが持っている強みや魅力はどのようなものがありますか?
シンクタンクは新聞記者と大学教員の両方を兼ね備える仕事です。タイムリーに日々の出来事を追いつつも、深い専門性を持って出来事の構造を明らかにする必要があります。これらの両方を1人でこなす必要があるのがシンクタンクの強みであり、大変なことでもあります。
これに加えて、シンクタンクが独自に取り組んでいることは2つあります。1つ目は、シナリオプランニングです。あり得べきシナリオをベストシナリオからワーストシナリオまで複数提示し、さらにシナリオを更新し続けていくことがシンクタンク職員には求められています。
2つ目は政策提言です。政策当局者の話を聞きつつ、個人としての専門性を活かしてどれだけいい提言を出すことができるかが試されています。
最後に、自己表現としてのシンクタンクについてです。シンクタンクでは、個人の専門性を活かしてどれだけいいクオリティを出せるかが求められています。そのため、自分の専門性を活かしたい人には魅力的な仕事だと思います。
アジア・パシフィック・イニシアティブについて
ーAPIはアカデミアにおいて著名な先生方も積極的に参加するなど、他のシンクタンクとは一線を画している印象があります。APIの強みについて教えてください。
APIが一貫して取り組んできたのは、ガバナンスとリーダーシップの問題だと思います。APIは3.11の福島原発の事故の検証を受けて設立されました。検証においては、当時福島原発事故において、どういうガバナンスがあったのか。どういう備えがあったのか。あるいはなかったのか。このようなことは、ずっと取り組んできたものだと思います。
その福島原発事故の調査プロジェクトのメンバーに入っていたのが鈴木一人先生でした。また、いわゆる国民安全保障国家っていう概念についての研究をしたことがあり、そこで入ってきたのが細谷雄一先生でした。さらに、静かな抑止力って言う政策提言があるのですが、これは当時CSISにいたマイケル=グリーン氏と一緒に作った政策提言です。この時提言作成の中心におられたのが神保健先生でした。
APIはそういった形で、日本の最高の知性と一緒に政策提言を行ってきたという強みがあります。そこはやはりAPIの理事長である、船橋洋一の編集力というふうに我々は呼んでいます。編集というのは本来本の編集や情報の編集という意味です。しかし、APIはそれだけでなく、人と人とを繋ぐ、人の編集や、人と情報を繋ぐ、人と情報の編集という2つの「編集」を、ものすごい高いレベルでこなしてきました。さらに、APIはこの「編集」を、国内外問わず、政・官・財・学のトップの方々と一緒にやってきたという自負があります。
日本と欧米のシンクタンクについて
ー日本でいう霞ヶ関が担っている役割を、アメリカではシンクタンクが担っていますが、海外ではシンクタンクが政策決定にどのような役割を果たしているのでしょうか?一方で、日本はなぜシンクタンクの政策決定に対する役割が小さいのでしょうか?
政策当事者が望む真の提言を打ち出すためには、政策の実務を経験しないと極めて難しいと思います。
APIは政策起業家排出するために、ポリシー・アントレプレナー・プロググラムというシンポジウムを毎年開催しているのですが、その時に官僚の方に言われたのは、「政策提言を持ってくる時に、肉は焼いて持ってきてほしい。」ということです。役人の立場からすると、シンクタンクが提案する提言は生肉の場合が多いが、最低限焼いてくれないと食べられないと。それはよくわかります。
それでも、日本が問題なのは肉の焼き方が、霞が関でしか教えてくれないことにあると思います。
それはアメリカも一緒なのですが、アメリカでは転職などで、民間でも肉の焼き方を知っている人が結構いるんですよね。一方、欧州の場合は、EUが質の高い政策を生み出す機会を提供しています。
いずれにしても、政・官・財・学の風通しが悪いのは日本の特徴ですよね。海外では当たり前なのですが。政治家を経験した人がアカデミアの世界に進んだり、閣僚を経験した人が国際機関のトップなる例が日本ではもっと増えてもいいと思うんです。
学生へのメッセージ
ー最後に、キャリア選択に悩む学生へ、アドバイスをお願いします。
キャリア選択の上で、自分の専門性を磨くことがこれからの時代、大切になります。大学生活を、人生をかけて打ち込めるもの、人生のリサーチ・クエスチョンを見つける時間にしてほしいと思います。
また、どんな経験でも役に立つという確信を持つことも重要です。これは、アメリカや国連で働く中で気づいたことです。国連で仕事をしたいと思った時、自分の人生をマーケティングする技術、つまり、自分のこれまでの経験がどれほど価値があるのかを、他者にとって価値があるように伝える技術が求められると実感しました。
そして、自分の好きだと思ったことに対して食らいついていくことも大切です。私の場合ですと、大学院を卒業後、自分がやりたいことをやれるまで10年はかかりました。最初は自分のできることから、半歩ずつでいいので地道に進み続けて初めて、下積みを耐え抜いて初めて、世界と戦えるようになるのだと思います。
最後に
今回はAPIの相良祥之さんにお話を伺った。相良さんの「大学生活は、人生のリサーチクエスチョンを見つける時間である。」との言葉が印象に残った。
自分の専門性を磨き続け、様々な場所で活躍を続ける相良さんの言葉は、進路を「再考」することの根本にある、「人生をかけて打ち込めることを探すこと」の大切さを、改めて感じさせるものだった。