広瀬凜さん

地球科学を愛してやまないと同時に、国際的な活動も学部の時から続ける広瀬さん。最近は研究に軸足をおきながら、留学やインターンなど幅広い活動をされていました。さらに今年からは海外で研究をスタートされます。

現在に至るまでたくさんの挫折や喜びがあったと語る、広瀬さんの波瀾万丈な学生生活に迫ります。

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広瀬凜さん

東京学芸大学附属高校出身。2017年理科Ⅰ類合格。理学部地球惑星環境学科に進学し、GLP-GEfIL(グローバルリーダー育成を掲げる東大独自のプログラム。https://ut-base.info/programs/38 )や交換留学プログラムにも参加。また、日英学生会議 ( https://ut-base.info/circles/93 )や東大ESS( https://ut-base.info/circles/80 )などのサークルでも活動。卒業後は東京大学院理学系研究科地球惑星科学専攻に進学、修士学生として研究生活を送る。休学やインターン勤務を経て2022年夏からプリンストン大学博士課程に進学。
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ー広瀬さん、今日はよろしくお願いします!まず、東大を目指したきっかけをお聞きしたいです。

学芸大学附属高等学校という、国立の共学に通っていました。それに加えて、中一から東大を視野に入れてカリキュラムを組むような塾に通っていました。このような環境で自然に東大を志望校に決めましたが、正直にいうと絶対東大!というような強い動機があったわけではなく、「気づいたら」目指していたように思います。

結果、現役の時は東大含めことごとく受験に失敗しました。浪人一年目で、改めて「なんで東大なんだっけ」と考え直しました。予備校生活1年目で身内の不幸があったり、元々自分がアレルギーに苦しんでいた中で、悩んだ末、医者と研究者どちらの道が良いか神様に決めてもらおうと、2回目の受験では理一以外全て医学部を志望しました。

今となっては、自分はこちらの道に進んで良かったと思いつつ、東大に入ってからのキャリアは漠然としたイメージだったので、もっとオープンキャンパスに行くなど情報収集しても良かったのかなと思います

でも、もし東大に入ったら研究をする。これは決めていました。以下でお話しする高校生の時の体験も影響しています。

ーなるほど! どんな高校生活だったんですか?

部活と行事で高校生活を謳歌しました笑

特に高3の夏休みは文化祭に全力を注ぐ校風でした。

また、私の学校はスーパーサイエンスハイスクール(※高等学校等において、先進的な理数教育を実施するとともに、高大接続の在り方について大学との共同研究や、国際性を育むための取組を推進する。 また創造性、独創性を高める指導方法、教材の開発等の取組を実施する学校)に指定されており、他の学校に比べてレポートや実習が多いんですよね、いわば自由研究の発展系のような。

例えばまちづくりや地形を1日かけて観察する地理実習や、城ヶ島で丸一日〜二日かけて地層や地質を調べる地学実習等、調査対象を自分なりに肌で学んで自分の言葉でまとめる学習が多く、それがとても好きだったんです。この地学実習が伝統になっている通り、文系志望も理系志望も地学を非常にしっかりと学ぶ学校で、それが今の地球科学への興味にも繋がっていると思います。

また、私の高校には知的好奇心が強い人や真剣な議論が出来る人が多くて楽しかったです。

こういった文脈で、東大は「研究に関して素晴らしい教員・仲間と設備のある最高の環境」だと思っていたので、憧れがありました。

ー入学した当初はどう過ごしていましたか?

焦りを感じ始めていました。

勉強は頑張ってきたつもりだったはずの自分がこの環境においては「何者でもない」ことに焦っていました。
自分の強みとはなんだろう?勉強というアイデンティを失った自分が自分たる所以とは?といった問いがずっと引っかかっていて。

そしてこの焦りをバネに、手当たり次第にイベントやサークルなどに参加していました。理系女子をターゲットにした大学一年生向けのプログラミングのアイデアソン・ハッカソン(tea time tech lab)に参加したり、面白そうな研究者の方の講演会を聞きに行ったり、キャリア系のワークショップイベントに行ったり..など今振り返ると本当に様々ですね笑

ー色んな課外活動もされていたんですよね

交換留学を視野に入れた国際系プログラムに参加しました。東大で色々な機会があるので、アンテナを張っていれば、金銭面や手続きで大学のサポートを受けながら多くの興味深いプログラムに参加することができます。

他にもESSや音楽系サークル、日英学生会議などで活動していました。

ESSでは副部長として運営に深く携わり、日英学生会議では10日間にわたるロンドン開催の会議を運営・実行し、音楽では駒場祭の公式テーマソングに選ばれライブステージの機会をもらったりと、どれも濃い素敵な思い出です。

ーでは、進振りについてお聞きします。なぜ地球科学の道へ進まれたのですか?

最終的に地球惑星【環境】学科(※以下、「地惑」https://ut-base.info/faculties/43 )

に進学しましたが、進振りの時点では正直かなり迷いました笑元々理一を受験したのは地惑の指定枠があるのを知ってのことで、前から興味はあったのですが...

学問融合的な視点に興味があったこともあり、いざとなると工学部の社会基盤学科( https://ut-base.info/faculties/29 )や後期教養の認知行動科学コース( https://ut-base.info/faculties/7 )、都市工学科都市環境工学コース( https://ut-base.info/faculties/113 )、都市計画コース( https://ut-base.info/faculties/32 )など、私にとって”融合分野”感がある学科にも惹かれました。

けれど、言ってしまえば地学も融合の学問。物理と数学と化学と生物...全ての学問に通ずるんですよね。
そんなこんなで悩みに悩み、最後は勢いでえいや!って決めました笑

先生方が本当に好きそうに自分たちの分野のことを語るのと、地球惑星【環境】学科の方が地球惑星【物理】学科( https://ut-base.info/faculties/42 )よりフィールドトリップ(実習)が多いことが、この学科にした決め手です。

実習に関しては、1週間の泊まり込み実習で川沿いの地層をひたすら見たり、顕微鏡で鉱物を観察したり。フラスコ内で雲を再現する、なんてユニークなテーマもありました。本当に楽しかったです。現在の研究は、再び地球惑星物理学科寄りに舞い戻って、物理的・理論的側面が強い気候科学をやっていますが、地球科学に深入りしたいという気持ちが固まったのは、この学部時の"地球に直に触れた"たくさんの経験ゆえです。

ー広瀬さんは短期留学や交換留学にも参加されたとのことですが、こうした国際体験に意欲的だった背景を教えて下さい!

最近小6の文集を見返したら、その時点で「海外の友達が欲しい」「海外で研究したい」と書いていたんですよ笑

知らない世界があると飛び込みたくなってしまうのと、自分が「井の中の蛙」であることを実感し続けたくて。いわば自分を再発見する感覚です。

ーなるほど、その再発見って具体的にどんなものでしょうか?

自分の考え方の先入観に気づく感じかな。
もちろん海外至上主義ではないけれど、海外を知ることは、外から日本を見つめ直すきっかけにもなりますよね。

日本にいると、自分が所属している組織で判断されがちだと思うんです。例えば東大というブランドも然り。
でも、海外に行くとその縛りがなくなるので、「〜すべき」、「〜しない方がいい」といった先入観から解放された気分に私はなれます。

ーなるほど....実際に香港へ留学された時のお話をお聞きしたいです!

アカデミックと実社会の融合と言う面でも、ビジネスも科学も強い香港大学に以前から興味がありました。

単位交換が認められない件に対して教務課に異議を唱え、バトルをしたこともありました苦笑。 理学部で留学する人が少なく、古い規則が見直されないままであったことに一石を投じるべく、「国際化を推進しながら、留学すると暗黙の了解で降年する仕組みになっているのはおかしい」と疑問を呈し、教務会議で議題にあげて頂きました。

結局3年の8月末〜4年の5月にかけて留学し、1年やり直さずにストレートで大学卒業できたことは感慨深いです。
学務制度は融通が効かないこともありますが、先例を作る気持ちで声をあげることも大事だと身をもって学びました。

ーデモの渦中での留学、大変だったのではないですか?

本当に予想外の出来事だらけで、帰国間際の数週間は、心身ともに疲弊した期間でした。デモが激化してから東大当局から望まない帰国を要請されたり、親のような存在だった祖父の急逝、お金のトラブルに遭ったり、楽しみにしていた施設見学の予定が急遽キャンセルされたりなど、複数のトラブルが同時に降って来たのは大変でしたねー笑

ー大変な留学期間を過ごされたんですね...変更手続きや単位交換など、大学当局とのやりとりは大変でしたか?

香港の政治的状況に鑑みて特別対応をしてもらい、急遽後半の留学先をオーストラリアに変更することに!行き先変更に際し、多くの急ぎの手続きなどに追われて大変でしたが、「香港デモ」や「コロナ」という、国家・地球規模の出来事に揉まれ、予期せぬアクシデントを多々経たことも留学の意義だと思いますし、いい経験でした。

「香港デモ」や「コロナ」という自分の努力でどうにもならない壁にぶつかった経験は、今ではよかったなと思えます。それまではどんなことも人の5倍努力すれば達成できる、解決できると信じていたので。

ーでは、海外で衝撃的な出会い・価値観が揺さぶられた経験はありますか?

突然の大きなエピソードがあったというより、日々の積み重ねの中で新しい発見が見つかる感じです。
例えば、香港に行った際、日本のメディアに対する見方が変わりました。政府対民衆という二項対立では目の前で起きる香港の現状は語れないなと。

香港では、日々多くの情報が錯綜する中で、情報の裏にある誰かによって生まれた「恣意」や「解釈」を自分で判断しなければいけない。では自国のメディアはどうなんだろうか?と疑問をもち始めたんですよね。

その一方で、「日本製」がブランドになるほど、質の良さが保証されている日本の素晴らしさに気づく瞬間もたくさんありました。

ー卒業される前のお話に移りたいと思います。研究や卒論などできっとお忙しかったのでは?

トラブル続きの留学で心身が疲れているタイミングで院試と卒論でした。
当たり前かもしれないですが、勉強と研究は全然違うんですよ。

今ではそここそが面白いと思えど、当時の研究初心者だった私は「勉強」のノリのまま突っ込み、「研究」の厳しさを実感しました。具体的には、気候システムの研究をしていて、スーパーコンピュータを用いたモデリング実験などを行うのですが、扱い方の方向性すら見えない天文学的なデータ量の実験結果の分析やプログラミングに苦労しました。

ーわかります。研究は自分の手から生み出していかなければならないんですよね。

そうなんです。私たちは与えられた問題を、決められた通りに解く試験勉強に慣れてると思います。 でも、研究はそもそも問いを立てる必要がある。ある意味特殊な創造性が要ります。 頑張りたいのに何をどう頑張ればいいかわからない時があるんです。

ー熱意と同時に、それを達成する手段も知る必要があるんですかね?

なんとかして研究を推し進めるための手段は必要です。私の場合は、違う研究室の先輩にアドバイスをもらいにいったり、手当たり次第結果を図にしてみて、何かしら言えそうなことがないか図と睨めっこして考えたりと、がむしゃらに動いて結果的に運良く面白い現象を見つけることができました。

批判的な視点で論文や自分の実験結果を見ることができるようになったのは、こうしたアウトプットを経験して得た新たな武器だと思っています。

ーGLPにも参加されていたんですよね。

そうです。GLPは交換留学の際にプログラム途中で辞めてしまったのですが、短い期間でも素晴らしい出会いに恵まれました! たまたまグループメンバー全員交換留学が決まっていて、学科やバックグラウンド、留学で行った国も全員違うものの、留学前から留学中、今まで交流が続いています。

(※GLP:国際社会における指導的人材を育成することを目的に、学部学生を対象としたプログラム。授業は全て英語で実施され、学部2年次冬〜4年次秋に実施。詳しくはこちらを参照。)

ー4年間の学生生活の振り返りをお聞きしたいです。

結論から言うと、色々あったけれど悔いのない4年間です。
一番の財産は人との出会いです!創造性を刺激してくれるような会話や機会に多く恵まれました。

そして、自分と近いバックグラウンド・価値観の人だけではなく、意見は違ってもいくらでも話せるような人たちとたくさん出会えました。これは大学という多様性のある環境ならではだと思います。

また、周りの人達は、あらゆる意味で自分より凄い。一時期はそんな事実に悩みましたが、一種の開き直りによって、そんな人たちに囲まれていて恵まれている、むしろどんどん彼らを頼りながら、自分は自分なりに頑張ろうと思えるようになったのは良かったと思っています。

入試当初はギリギリで滑り込んだ東大。何度も挫折しました。親や環境の協力や応援があったからこそ入れたと改めて実感しているので、「東大生」としてではなく「学部生活を東大で送った人間」として、あくまで参考として、私の経験を共有できたらと思います。

昔から漠然と「アカデミアと実社会の融合」をしたいと思いつつも、大学一年の時はそのhowがわからなくて模索していたんですよね。今振り返ると、もがいてきた中で、その具体的な方向性がようやく見えてきたなと言う感じです。そして、紆余曲折の中で一見バラバラの経験が今と繋がっていることに気づきました。

その意味で大学生活に後悔はないです。挫折して自信を失ったからこそ、優しくなれたかもしれないし、ピンチはチャンスに変えられる。ピンチをチャンスに変えるには知識/教養が必要で、知識は自分の小ささを知るものである。そこから再び出発していけばいい。そう思うようになりました。

最初は漠然と東大を目指し、入学後は広く浅くいろいろなものに手をつけてきましたが、最後に深めたいものを見つけることができたと感じています。

ー「正解像を早く理解し、獲得したものが勝者」のような同調圧力はまだ感じるときがあります。

うん、何かを達成するまで焦っちゃうのはよくわかります。
自分のプライドを持つ対象を「東大生」「コンテスト優勝」などの肩書きや属性ではなく自分の内面の志に変えていくことで、健全な焦り方をすることができるように思います。

全力で何かに打ち込む自分を誇りに思う。こんな風に考えられたら素敵ですよね。

ー次に、卒業後のインターンや休学について聞かせてください。

実は修士1年の前期半年間を休学しました。留学のドタバタで生き急いでいる感覚があり、自分の時間を取りたいと思ったためです。 不器用な私には就活準備と研究の両立は不可能だと思ったので、進路についてゆっくり考える時間が欲しかったんですよね。

結果、お休みといいつつインターンを2つもやっていました笑
アイデアソン的な形で地域創生について考える短期インターンや新規事業開発系を経験しました。実際に自分のアイデアが選ばれたりして達成感でいっぱいでしたね。

そもそもインターンしたのは働いた際の自分の適性を知りたかったからなのですが、結果まだ研究したい!専門を深めたい!という気持ちが強くなりました。

ー今は気候データビジネスにも関わっていらっしゃるということですが..

今はお休みしておりますが、東大で博士号を取られた先輩の、災害予測モデルを用いたビジネスのベンチャーの立ち上げに関わらせて頂きました。事業も軌道に乗ってきているそうです。そしてこれはまさにアカデミアとビジネスの融合の一例だと思います。

災害予測モデルの中でも地域の特性に合わせた洪水被害予測モデルの組み立てや気候変動の影響評価、企業側の適応策なども扱っています。

海外院受験が落ち着いたらまた復活するつもりでいます!

ー研究では最終的にどんなことを達成したいと考えていますか?

一言で言うと「地球の医者」を目指しています。

宇宙船地球号という自分たちの乗っている船が動くメカニズム、そしてその船に問題が起きたときの対処法を知り、乗船員の人間と、船である地球双方にとっていい方法を提示できるようになりたいのです。

地球の仕組みを明らかにしたいという純粋な知的好奇心、環境問題に対する課題意識両方をモチベーションに頑張っています。

ー今後のキャリアとしては、海外Ph.D取得を目指していると伺いました!

はい、複数受験し、無事アメリカのPrinceton大学とMichigan大学から合格をいただきました。まさに気候科学の分野で昨年ノーベル物理学賞をとられた真鍋先生がおられるプリンストン大学で気候モデル研究を深めるべく今夏に進学予定です。

これから少なくとも5年はアメリカで勉強・研究します。
研究5年間を通じて、どんなに狭くても自分しかやってない分野を究め、長期スパンで「地球医」という大きな夢に近づいていきたい。そう思っています。

ー最後に、高校生の皆さんに向けて一言いただきたいです

自信を失ったのも落ち込みまくったのも悲しみを知ったのも大学に入ってからでしたが、この負の経験に本当に感謝します。辛いことが多くあっても、意思があれば、そんな中で不思議と縁はつながるのではないかと感じています。

ー紆余曲折の中で、焦りすぎずに道を探していくその生き方にとても憧れます!今日はありがとうございました!

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