「あなたはどのようにして進学先を決めましたか?」
多くの東大生が1度は頭を悩ませる、進学選択(通称「進振り」)。
——何を基準に学部・学科を決めれば良い?どんな手段で情報を集めれば良い?自分の興味・関心にどう向き合えば良い?
そんな疑問を抱く東大生に寄り添うべく、悩み抜き、考え抜いて進学先を決めた先輩たちの経験を発信する連載「進振り体験記」!
今回は、文科三類 から 教育学部 比較教育社会学コース に進学した学生の体験談です。
1. 基本情報
今回、体験をシェアしてくださった方の基本情報は以下の通りです。
◯名前:W.K. さん
◯出身科類:文科三類
◯進学先:教育学部 比較教育社会学コース(詳細:こちら)
2. 大学に入るまで
中高生のときの私は、とにかく学ぶことが大好きでした。
数学「うわあ誰が見つけたんこんな定理...!数式と図形の世界かっこよ、スッキリする…」
古典「短歌とか漢文に凝縮された情景や心情すごい…タイムカプセルみたいに1000年経っても鮮明に伝わる…」
理科「こんなミクロな生命や原子の世界からスケールのものすごく大きい惑星の仕組みまで、誰が作ったん?!不思議すぎる、感動する(涙)」
世界史「過去が分かればパズルみたいに今がわかるし、人間が辿ってきた道1つ1つが複雑に、ダイナミックに絡み合っていて、かつロマンがある…歴史って生きてるんだ…」
といった調子で、どんな科目でも先生の話を聞いては目を輝かせ、教科書を読んでは胸をときめかせながら、日々学校や塾で学んでいた記憶があります(睡魔の誘惑に敗北することも多々ありましたが笑)。
そんな中高生活を送っていたので、「まだまだもっと分野に関わらず学びたい!」「東大に行けば同じように目を輝かせながら学んでいる人と切磋琢磨できそう!」という気持ちと、入試問題がとっても面白かったという理由で東京大学を受験しました。
また、科類についても、学部を完全に名前のままに受け取り、「分野横断的に学べそう」な教養学部と、「学ぶことに関わってきそう」な教育学部の両方が選択肢として募集要項に書いてあった文科三類を選びました。(成績や点数云々といった、進学選択の詳細な制度については露知らず……涙)
3. 知の生産者になる?
さて、学びへの情熱と期待に胸を膨らませながら東京大学に入学したは良いものの、ほどなくして私はあることに気が付きました。
それは、高校生だった当時聞いてとても印象に残っていた、2019年の上野千鶴子先生の祝辞を読み返していた時のことです。
「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。」
この言葉を見て、前述のように目をキラキラさせ、胸をときめかせながら学んでいた私は、すでにある知の「消費者」であったのではないか?と、ハッとさせられました。そして、大学では自分たちは、知の「生産者」とならなければならないのだ、ということを初めて明確に自覚しました。
いつまでも先人たちの積み上げてきた知見に感動していたい、と思っていた私にとってこれは、自分の進むべき道がわからなくなった瞬間でした。
東京大学に入学した人たちはきっと、これまでに生産されてきた知を自分のものにし、それを使いこなすことに大変優れた、言うなれば知の「消費」を極めた人たちだと思います。けれど、入学した途端に、ひろ〜〜〜い学問の大海原へと放り出されて、今度は知の生産者とならなければならない。
自分は何を生み出せるんだろう?そもそもどの分野で?それってどうやって選べば良いの?
途方に暮れました。
しかし、前期教養課程の授業を受けながら私がやっていたのは、相変わらず知の「消費者」たり続けるということでした。開発経済学の授業、心理学の授業、アフリカの国際関係論の授業、情報の授業、etc…を受けながら、相変わらず「スゲー!面白い!」とひたすらに感動。
だからと言って、「この分野で自分も何らかの知を生み出すぞ」「先人たちが積み上げてきたレンガに1段足すぞ」というのはなかなか見つかりませんでした。
そして、特に1Sの時期はいつも受け身で勉強をしていて、講義を聞いて終わり、課された宿題をこなして終わり、というような日々を送っていました。
もちろん授業の内容も面白かったですし、楽しかったけれど、
「何かが足りない…。思っていたのと何かが違う…。大学生活こんな感じで良いのかな。」
「もっと最高にワクワクする学びがやりたくて大学に来たのに…!」
「でも、その『ワクワクする学び』って私がどうやれば実現するのか、誰かが教えてくれるわけではないし、誰にも相談できないからわからない…。」
と、思い描いた学び場と現実とのギャップに苦しみ、(コロナ禍の)オンライン授業を受けながら1人部屋で悶々としていました。
今思えば、そんな状況から抜け出し、「私はこの分野で知の『生産者』になりたい」と強く思えるものを見つけたきっかけは、日常生活やこれまでの経験を踏まえて生まれた2つの問いに向き合うことであったように思います。
次項では、その2つの問いを見ていきます。
4. 経験から生まれた2つの大きな疑問
■ Q1.「面白い学び場」って、どうやったら作れるんだろう?
1人で悩んでいた私にとって、転機となったのは、夏休みが明けた頃に、UT-Basecampというゼミに出会ったことでした。
UT-BasecampとはUT-BASEメンバーが主催・運営している自主ゼミで、毎回様々な分野の課題図書を読み、それについてゼミ生で議論し、さらにはその分野のスペシャリストを招いて議論をするというものです。
ゼミに入って初めて、「まず自分で本を読み、それに基づいてああでもないこうでもないと他者と議論し、分かち合う」という学びのあり方を知りました。
その時に、
私が高校生のときに思い描いていた「大学でのワクワクする学び」って、これかも!
と思えるようになりました。
であれば、私がこれまで大学での学びにワクワクしなかったのはなぜだろう?物足りなさを感じていたのはなぜだろう?それに向き合ってきた学問分野はあるだろうか?ということで、「高等教育論」なる分野の存在を知りました。
具体的には、日本の大学教育の問題点を指摘する書籍や、日本と海外の大学の制度の比較、歴史的に見た大学の存在意義の変遷を描いた書籍を読むようになりました。
そこで、「日本の大学生が世界で一番勉強しないと言われる」というようなことや、「日本では、大学で何を学んだかではなく、どこの大学に行ったかが問題とされるため、大学生活が受験と就職の間のモラトリアム期間になる」「大学に入ることや競争をすることが自己目的化している」というような議論を知りました。
さて、冒頭で書いたように「とにかく学ぶこと大好き人間」だった私にとっては大ショックです。
確かに、楽をして単位や点数を取るためだけの大学生活というのは身近な場面でもよく聞く話で、東大も少なからずそういった文化に覆われている側面があることは事実です(注1)。
え?!学んだことってどうでも良いの?!大学って入学さえすればそれで終わりなの?!せっかくここには「知の消費」を極めた人たちが3000人も集まっているのに?!その状況ってどうにかならないかな?!
一方で、もちろん、自分がこれまで見たことがないくらい優秀で、熱意に溢れ、学問に対して真摯に向き合いつつ、実社会での活動にも温かみを持って向き合うような姿勢を持った人たちにも、大学に入ってからたくさん出会ってきました。
だからきっと、「大学は入ったら終わり」「入学さえすれば勝ち」とは思っていない人もいて、もしそう思っている人がいたとしても、「その人が悪い」と個人への価値判断を含む結論を出すべきではないのではないか。それよりも、日本社会の産業構造や、教育・選抜のシステムがそうさせていると考える方が現実に近いのではないか。
そこから私が興味を持ったのは「教育社会学」という分野です。
もともとは教育社会学よりも前に「社会学」という分野に興味を持っていたのですが、私が社会学を好きな理由はそれが「自己責任を外部化する」学問に思えるからです。
社会の中で何かが起きている。誰かが苦しんでいる、誰かが批判されている。そんな時に、見えない糸を手繰り寄せ、可視化しながら、「それって本当は社会がこうなっているからで、あなたのせいじゃないよ。あなただけじゃないよ。」と言ってあげられる学問であるようなところが節々から感じられ、私はその鋭さと優しさを兼ね備えたまなざしが大好きになりました。
遠回りな説明になってしまいましたが、教育社会学もそんな社会学の中の1分野で、より教育が深く関わっているところで同じ営みを行う学問であると捉えています。
(注1:ただ、進学選択で希望の学部に行くためには高い点数が必要であるというシステムが「楽をして点数を取ろうとする文化」にいくらか寄与している、というのが難しいところなのです……)
■ Q2.「学べない人」「学びたくない人」「学んでも評価されない人」って、その人のせいなの?
もう1つ、私の心の中に強く芽生えた問いがあります。何度も言っている通り、私はなぜだかわからないけれど幼い頃から「とにかく学ぶこと大好き人間」でした。
そして、だからこそなのか、その思いは「学びたくても学べない人」「学びたくない人」「学んでも評価されない人」に向かっていきます。
原点となっているのは、高校生の時に訪れたある国の貧困地域で「学校にさえ行かせられれば、子どもの夢が叶うかもしれないのに。」と心苦しそうに話すおばあさんに出会った経験です。
自分が生まれる家庭は自分で選べないし、自分が生まれる地域だって選べないし、自分が育つ環境だって自分で選べない。でも、自分が制御できない要因で「学びたくても学べない人」ないしは「学校に行くという選択肢が与えられていない人」がいる。
その事実が私にとって、異様なほど衝撃的で、耐え難いものでした。
それは遠く離れた国だけの話ではなく、日本でも、自分の身の回りにもあることです。特に、東大に入ってからは全国・世界から集まっている人々に囲まれ、「これまでの学び」の背景には自分が育ってきた環境に大きく左右される格差があることを感じました。私自身もその格差に心が折れそうになったことがありました。
その経験からぐっと身近になったこのテーマに向き合いたくて、「機会の平等」というキーワードに興味を持ったり、「社会の中での地位はどのように決まり/再生産され、その間にはどのような格差があるのか」といったことを扱う「社会階層論」に関心を持ったりするようになりました。
そして、社会階層論や機会の平等に関する議論を勉強していくうちに(授業でというよりは主に自分で本を読み、友達や先輩と議論するという自主的な読書会を通じて勉強していた記憶があります)、新たな疑問が生まれました。
もしも、生まれた地域や家庭によらない「スタートラインの平等(機会の平等)」が実現したならば、純粋に自分が生まれ持った能力だけで人々の地位が決まっていく社会になるのか?それってもしかして、すごく残酷……?
本当の平等ってなんだろう?何が正義にかなった判断基準と言えるんだろう?
そういった疑問に向き合う学問として、平等だったり責任だったりというキーワードを扱う「正義論」や「政治哲学」という分野にも惹かれました。また、「メリトクラシー」に関する研究では、そういった政治哲学的な要素と教育社会学的な要素が絡み合っている部分が窺え、惹き付けられるほどに興味深く感じられました。
さて、興味が見事に発散していっています(笑) いいえ、自分の中に生まれた強い疑問に沿って興味が収束していっていると見ることもできるでしょうか。
いずれにしても、自分が抱いたいくつかの疑問たちの根底にあるのは、
「どんな能力を持った人も、どんな環境に生まれた人も、楽しく、心踊らせながら存分に学べる世界になってほしい」
「学ぶことが好きではない人も、そのことによって排除されたり『敗者』『弱者』とされないような社会になってほしい」
というとても強い気持ちであるように思います。
6. 迷った学科と決断の時
ここまでは自分の「感情」や「思い」ベースの思考になっていましたが、実際に進む学科を決めるときの判断基準はかなり現実的な側面を比較してのものだったので、以下に箇条書きの形で記していきます。
<迷った学科>
・教育学部 比較教育社会学コース:以下では「比教社」とします
・教養学部 相関社会科学コース:以下では「相関」とします
・文学部 社会学専修 :以下では「社会学専修」とします
<判断基準>
A) 卒論を見てもらいたい教授
社会学専修で「社会階層論」の研究をされている先生が自分の進学前にご退官されてしまう…(もちろん、後任の先生が就かれるとは思われますが)。比教社の先生方は、著作を拝読したところ「メリトクラシー」の研究をされているし、ご退官はまだ当分先の予定。相関で「社会階層論」を研究されている先生方もまだ現役だが、ここ数年で海外に赴任の予定がある先生も。自分の場合は海外の院に進学することも考えていたので、その時になってもまだ現役で、推薦状を書いていただけるような先生が良いな…。
→ 比教社がベスト?
B) 他学部履修がどのくらいできるか
関心分野が複数あるので、他学部の授業を履修することができると良さそう。比教社と社会学専修では他学部授業の枠が32単位とかなり多め。相関では、教養学部であるため様々な授業を取ることができるものの、他学部履修ができるのは12単位ほど。
→ Q1の「面白い学び場を作るには?」という問いに向き合うために教育学部の授業をたくさん履修したいけれど、相関でそれは少し厳しそう…
C) 興味のある授業がどのくらいあるか
これについては、各学部の必修内分けとUT-BASEの記事を参照しながら、自分で2A〜3Sの時間割を組んでみました。そこで「時間割にときめく」かどうか(笑)を見てみると、一番ときめいたのは比教社の時間割でした。
教育学部に進学することで一番懸念したのは、「教育に縛られてしまう」ことで、「本当は社会学や政治学をやりたいのに教育の方に必修が縛られたりしないかな…?」と考えていました。
しかし、実際に時間割を組んでみるとそんなことは全くなく、教育という軸を持ちつつも、教育の中で哲学を勉強したり社会学を勉強したりできる、かつ他学部履修の単位数も多い。
→ 比教社が良いかも!
相関や社会学専修のカリキュラムでは、「社会学」といっても本当にその研究対象が幅広いので、もう一度関心を広げてまた自分で軸を決めることになりそう…
→「教育」という軸はとりあえず持ちつつ、他学部履修で社会学の授業を合わせて学んでいくのがよさそう!
といった主に3つの基準で、教育学部の比較教育社会学コースに進学することを決めました。決断の時期は、6〜7月であったと記憶しています。
アドバイスとしては、特にC)の実際に自分で時間割を組んでみるという作業、それから、学科に所属している先生のご退官予定・海外赴任予定を調べたり、著作を片っ端から読んでその研究内容・専門性と自分のやりたいことが近いかどうかを考えたりしてみることが決め手になったので、文系の方にはそういったアクションをとることがとてもオススメです!
7. 現在の学部・学科での生活/満足感
これはかなり大きなことだと思うのですが、自分が進学した比教社では、2Aに必修科目が1つもありません(詳しくはこちら)。
そのため、今の自分の時間割は、ほぼ相関の授業と社会学専修の授業で埋まっています(笑) そして、そこがすごくすごく気に入っています!来年度から比教社での本格的な学びが始まる前に、社会学の基本的な知識やトレーニングを、自分が進学するかどうか迷った学部の授業でできるからです。
そして、教育学部の授業ももちろん履修することができます。私は現在、教育行財政学の授業や、教育政治学の授業を取っていますが、こちらでは自分が向き合いたかった「メリトクラシー」の議論が出てきたり、教育に関する専門的な知識や思考方法が身についたりするので、とても楽しいです。
本格的に「高等教育論」や「教育社会学」の勉強が始まるのは3Sからですが、今はそのあたりの分野については自分で書籍を読んだり、自主ゼミで発表させてもらったりすることで勉強しています。3Sからはそういった授業で時間割が埋め尽くされるので、それもまた楽しみです!
また、比教社の大きな特徴として、カリキュラムに概ね沿っていけば社会調査士という資格が取れること、3年生に全員必修で調査実習の授業があるため、統計分析や社会調査の手法が身に付くこともお気に入りです。
最後に、比教社の雰囲気の良さもとても好きです。2Aではまだ必修がないにも関わらず、ガイダンスの日からみんな仲良くなり、ボードゲームの会が開かれたり先輩も交えたごはん会が開かれたりしています。
8. 終わりに——利他ってなんだ?エゴってなんだ?
さて、「長いなオイ...」と思われるかもしれませんが、最後にもう少しだけお付き合いください。
これまでに書いてきた経緯で、やっと「自分がここで知の生産者なりたい!」と思える分野がいくつか見つかりました。
しかし、前述のような自分の思い、特に格差や不平等への関心を話すと時折、
「それって『人のため』じゃない?人のためばかりを考えていると、辛くならない?」
「自分自身が本当に楽しいと思える学問ではないと、しんどくなるんじゃない?」
という反応をしてもらうことがありました。
え、確かに…?!
周りを見渡してみると、自分が心の底から楽しいと思えること・好きなことと、「誰かのためになる」という利他を上手に両立させながら学問に向き合っている人たちがいました。
「たしかに、格差や不平等が『好き』かと言われたらそういうわけではないな、、、」
「私ってもしかして薄っぺらい?!この分野を選んだらしんどくなるのかな?!」
でも、自分の根底にある強い思いが「人のため」や「利他」なのかというと、それも少し違う気がしました。
そんな葛藤に悩まされているとき、ある方が自分の職業について、
「1人1人に自分の生きた文脈があるんだから、それぞれが自分の文脈と社会の構造とを照らし合わせて、『自分はこれをやったんだ』と死ぬ時に言えればいいと思ってる」
と仰っていました。
これを聞いて、自分が抱いていたモヤモヤがすっきりと晴れていく心地がしました。
私の場合は、理由はわからずとも「学ぶってチョー楽しい!」とひたすら思いながら生きてきたという文脈があって、前述した「どんな能力を持った人も、どんな環境に生まれた人も、楽しく、心踊らせながら存分に学べる世界になってほしい」「学ぶことが好きではない人も、そのことによって排除されたり『敗者』『弱者』とされないような社会になってほしい」という思いはそこから生まれた「エゴ」だったのではないかと思いました。
大学に入ってその「エゴ」の尻尾を手探りで捕まえて、しっかり向き合う。
それを社会の構造と照らし合わせることで出てきた「問い」を探求するために、「どの先人たちの知見の上に1段積み重ねることを目指そうかな」と考えるのが進学選択の過程であったように思います。
今進学先の学部・学科が決まらなくて悩んでいる人・迷っている人がいたら、焦らなくてもきっと大丈夫です。自分がふとしたきっかけに強く抱く疑問や思いは何か、そこに耳を澄ませてみてください。「問いや思いを抱く対象」は、1人1人の生きてきた文脈によって自然と異なってくるのだと思います。
その対象に惹かれるというのは、あなたならではの大切な「エゴ」なのではないでしょうか。
そして、まだちょっとしか生きてないのだから、その対象はこの先何度も変わったって良いし、それに縛られる必要も全くありません。
学部2年というペーペーの身での私の体験記がどのくらい参考になるかは分かりませんが、どなたかの不安を少しでも軽くできていればとても嬉しいです。
応援しています!
おまけ:進振りに際してヒントになった本
・『大人になるためのリベラルアーツ』
・『勉強の哲学』
UT-BASEメンバーより
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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