「あなたはどのようにして進学先を決めましたか?」
多くの東大生が1度は頭を悩ませる、進学選択(通称「進振り」)。
——何を基準に学部・学科を決めれば良い?どんな手段で情報を集めれば良い?自分の興味・関心にどう向き合えば良い?
そんな疑問を抱く東大生に寄り添うべく、悩み抜き、考え抜いて進学先を決めた先輩たちの経験を発信する連載「進振り体験記」!
今回は、文科二類から 教養学部 相関社会科学コースに進学した学生の体験談です。
1. 基本情報
今回、体験をシェアしてくださった方の基本情報は以下の通りです。
◯名前:杉本遥さん
◯出身科類:文科二類
◯進学先:教養学部 相関社会科学コース(詳細:こちら)
こんにちは。私はこの体験記の執筆にあまり向いていません。まず、自分の経験を後から物語風に語るのが苦手です。自分に嘘をついてる気がしてしまいます。また、私の興味分野の変遷を知ったところで、他の人の進振りへの適用可能性は低い気がしてなりません。時間を無駄に使わせてしまってる気がします。
とはいえ、
①高校生などに大学生活の一事例を伝えることに意義があると感じていること
②私自身、教養学部の相関社会科学コース(以下「相関」とします)への進学選択の際、情報不足で苦労したため情報の提供に意義はあること
の二点から、執筆を決めました。
構成としては、東大文系の学習の具体例が気になる高校生や新入生は2、3節、相関社会科学コース関連の進振りで何かヒントを得たい方は4節以降、暇な人は気になったところを読んで頂ければと思います。何か参考になる部分があれば幸いです。
2. 大学に入る前
入学前は、漠然とした経済への憧れから文科二類を選びました。が、私が東大を選択した理由は、
「最初の2年間が “りべらるあーつ” と言われる自由なカリキュラムで、入学時点で確固たる関心分野がなくても良いこと」であったので、経済への拘りは然程なかったです。高校生の時に自分の関心分野が決まってる人は寧ろ少数派で、僕のような漠然とした気持ちの人が案外多いのではないでしょうか(適当です)。せっかく前期教養というシステムがあり、好きな授業が取れるので、最大限活用すると良いと思います。
また、高校時代から具体的な目標や実績がある人も一定数おり、特に何もないと少し引け目を感じます。高校生活が終わった私のような人間は今更このことを反省しても仕方ないので、大学で真面目に取り組むしかないと割り切りました。
3. 現在から入学時を振り返って
特に興味分野もない割には、「大学には勉強をしにきた」という意識だけは一丁前に持っていたので、比較的真面目に勉強はしようと思っていました。しかし選り好みが激しいせいか必修・準必修の授業にはあまりそそられず、自学、サークルでの勉強会、前期教養学部生向けのゼミが学習の中心でした。
そして興味分野・進振りという観点でも、必修準必修の類ではなく前述したゼミでの活動に大きく影響されました。簡潔にまとめようと思ったのですが案外困難だったので、時系列で羅列します。
■ ①1S
「勉強したいなら授業を取ればいい!」と思って取り敢えず可能な限り授業を取りました。が、あまり楽しめませんでした。経済関連の準必修は問題は解けるようになれど社会現象を説明してくれないし(今思えば納得です)、数学の授業からは置いていかれ(私の実力不足)、系列科目は教科書に書いてある内容を教授が喋るだけでした。敗因は、面白い授業を聞ける先輩がいなかったことによる情報不足です。特にツテがない人は、新歓で会った意識高そうな人に聞いてみるといいかもしれません。
そんなときに京論壇というサークルでの活動が始まり、同輩や上級生と議論等をすることにより勉強モチベーションは保たれました。切磋琢磨して自分の勉強モチベーションを保てる仲間がいると良いと思います。その頃は、中国政治に関する本や記号論、フーコーの本を読んでいました。
■ ②2A
京論壇で会った先輩に勧められて、高山ゼミ(正式名称:全学自由研究ゼミナール「地球社会におけるリアリズムの探求」。現在は通称「馬路ゼミ」と名前を変えて継続しています)いう前期向けのゼミに参加しました。毎回のゼミでの議論の予復習、セメスター毎の約2万字に相当する論考の執筆など、膨大な時間を費やす必要がありましたが、それに見合う何かが得られました。特に、そこで出会った先輩や同輩との繋がりは、自分の興味分野形成に大きく関わっています。
例えば進振りに絡めて言えば、国際関係論のゼミに入り、自分は国際関係論を専攻するほど好きではないと感じました。一方、ゼミの先輩と喋ったり読書会をする中で、ミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズといった、独自の切り口で社会を語るフランス現代思想への興味は更に強まりました。
授業は相も変わらず楽しめなかったですが、高山ゼミ・京論壇を中心とした勉強する人のネットワークの中で日々楽しく勉強はできていました。
この時点では、進振り先は決めていなかったものの、フランス現代思想が好き→駒場の現代思想コースという思考回路でした。
■ ①2S
ついに面白いと思える授業に巡り会いました。具体的には、社会科学ゼミナールや哲学関連の授業です。特に、”ルーマンのマスメディア論を読む”という授業には心躍りました。別にルーマンがどこの誰なのかも知らずノリで参加した授業でしたが、難解な文章を一文ずつ紐解く作業、どんな質問にも考えさせられる応答をしてくれる教授の存在、ルーマンの理論を通して見る世界の面白さが楽しさの源泉だったと思います。
駒場には「アドバンスド文科」と呼ばれる少人数の授業があり、教授との距離も近い他、内容も(少なくとも僕にとっては)刺激的なことが多かったので、面白い授業が取りたい人にはおすすめです。*特に社会科学ゼミナールでは合否しか付きませんが、自分のためにはなるかと思います。
また、2Sは進振りも悩みました。フーコーやバトラー等を読み「自分は現代思想が好きだ!」と感じていた私ですが、ある日本の哲学者の著作を読みモヤモヤが増えてしまいました。詳しくは言及しませんが、その著作で所謂現代思想的なものを用いて為された現代社会の分析は正直納得がいくものではなく、私が思い描いていたフーコーの監視社会論のような現代思想との乖離を感じました。当時の日記を読み返すと、いわゆる啓発本と現代思想の違いが分からなくなり迷いが生じていました。そんな中でフーコーやバトラーは現代思想でもありながら、社会学分野でも著名であることを知ります。前述のルーマンも社会学者と呼ばれていると知り、今度は社会学と現代思想の違いも段々わからなくなりつつ、新たな選択肢が増えました。
4. 比較——現代思想コース/社会学専修/相関社会科学コース
はい、いきなりここから読み始めたであろう、進振りに悩んでいる人向けに現状を要約します。私は社会学と現代思想の両方(というか共通項?)に興味があり、精緻かつ何か将来の行動に繋がるような社会の分析を行いたいと思っていました。その中で、後期教養学部現代思想コース(以下「現代思想」とします)・文学部社会学専修(以下「社会学」とします)・後期教養学部相関社会科学コース(以下「相関」とします)のどこに行くかを悩んでいました。
その際の比較軸を以下でお伝えします。
①卒業要件(取得単位数、必修etc)
この点において、現代思想・社会学・相関の三コースともに必修が少なく(もしくはなく)、自分で学習計画を立て卒論まで至ることが特徴です。
社会学専修は、一部必修があり、そこで社会学史や社会学の概論的な授業、統計に関する授業を受けることになります。それ以外では基本的にゼミ形式の授業が多いです。ある程度体系的に社会学を学べる環境だと思います。また必修が少ないため、履修の自由度は高いです。
現代思想コースはたしか必修がありません。自分の興味に沿った履修となるはずです。また、コース科目がそれほど多くないため、他学部履修は前提とされます。駒場のコースは、国際関係論コース等の必修が多いコースを除いて、このような形式が多い印象です。
相関コースも、必修がありません。取得単位数等をよく考える必要はあるものの、基本的に自分の興味に沿った履修を組むことが可能です。逆にいえば、自分の興味等が定まっていないと、履修組みでも苦労します。
個人的に必修にあまり良い思い出がなく、履修の自由度が高い場所に行きたかったので、この点では3コースともに望ましかったです。また、駒場の2コースでは言語科目が卒業要件に含まれるため、半強制的に言語を磨けるというメリット/デメリットがあります。
②授業内容
これは、必ず確認する必要があります。
社会学専修は、前述の必修である程度社会学の基礎が抑えられます。またゼミの種類も多いです。基本的には日本語ないし英語で講読を行う授業が殆どかと思います。違ったらごめんなさい。
現代思想・相関は、教員の専門に授業内容が大きく依存するという特徴があります。私が興味を持っていた現代思想はフーコーやバトラーだったのですが、少なくとも当時の履修では直接的にこれらを読む授業はなかったです。また、原書で講読をするタイプの授業が多いので、第二外国語が現代思想界隈であまり使用されていないと苦労は大きいように思います。なお、現代思想という学問の特性上、学問体系を一から教えるという類の授業は殆どないはずです。
相関コースにおいても、基本的にフーコーやバトラーは扱われません。授業は講義系と議論系の両方があり、特に後者のウェイトが他のコースに比べて重いです。第二外国語による履修可能授業の制約は殆どありません。現代思想コースと比較すれば、一部体系的に社会学や統計学を教えてくれる授業はあるものの、各論的かつ教員の専門に授業が影響されるのは否めません。
全コースに共通するのは、(社会学専修の必修を除いて)授業人数は比較的少ない点、毎回の予習や議論が評価されるゼミ形式が多い点かと思います。
③卒論担当教員
各コース卒論を書くため、卒論担当教員について考えることも必要です。
社会学専修においては、必然的に社会学を卒論で扱うことになりますが、「社会学はなんでも対象にできる学問」という風潮がある以上、扱えるトピックの幅広さは担保されていると言えます。また、現代思想的な側面から適切なアドバイスを行える教員もいらっしゃると思います。
現代思想コースにおいては、基本的に教員は哲学系の出身が多いはずです。現代思想は、現代思想コースでも扱われれば社会学分野でも(読み方の違い等はあれど)扱われますが、計量社会学など社会科学は現代思想コースにおいては扱われません。この点において、社会科学的な卒論を書くことになった場合、現実に所属したわけではないので憶測でしかないですが、現代思想コースにおいて適切なアドバイスが貰える保証はないと考えました。
相関コースにおいては、教員の幅は広いです。特に、社会学と政治学においては、計量系・思想系が各々一定数在籍しています。その点において、少なくとも現代思想コースに比較すると、選択肢を狭めずに済むと推測しました。しかし同時に、仮に社会学一本!という強い心意気がある場合、社会学専修の方が教員数は多い以上、より専門的なアドバイスが貰える可能性が高いようにも思います。
以上が、私が考慮した比較軸の簡便なまとめです。
私は結局、基本的にこの比較軸に沿った上で相関→社会学専修→現代思想コースの順で志望したのですが、その理由を以下に記します。
①結局どのコースを選んでも、自ら主体的に学習計画を立てることが必要となるが、相関コースは必修もなく自由度が高かったこと。
②純粋に現代思想コースの授業内容と、私の興味分野に少しズレが存在したこと。
③卒論担当教員は、その時点での私の興味を鑑みると、社会学専修か相関コースの教員が良いのではないかと感じたこと。
です。特に決め手となったのは、③です。全コース履修の自由度が高い以上、別にどのコースに行けども①②は然程大きな問題となりません。しかし、卒論担当教員は自分の所属コースの教員となるため、現代思想コースに進学した場合、将来的な制約が増えると考えました。
以下、上の軸には書かなかった追加の論点です。
④本郷に通った場合、怠惰ゆえに駒場の授業を取らないと思ったが、駒場に通った場合、本郷の授業を取らなくては…!!という一種の強迫観念に(良い意味で)駆られると感じたこと。
⑤ある教授から、「しっかり統計等も使う論理的な社会科学を学んでから現代思想に行っても遅くない」という類のことを言われ、納得したこと。
⑥駒場の方がコースが少人数のため、先輩や同期との繋がりが多そうだということ。
結果的に、②③⑤の観点から現代思想コースは自分の中でプライオリティが下がり、①④⑥の観点から相関コースが社会学専修を僅差で上回った、という形です。自分の行動を悪い意味で縛るコースは嫌だなという気持ちが昔からあったと思います。その分、自分で学ぶ必要のある領域も増えるわけなのですが…。
ここに書いてある内容は極めて限られているため、可能であれば実際に教員やコースに所属する上級生と直接話すことを強くお勧めします。実際に私もある教授に相談し、少し視界が開けました。
5. 相関社会科学コース
では、結局相関コースに進学して良かったのか?という論点が存在します。約半年間相関の授業を受講して感じたメリットやデメリットを記そうと思います。
①卒業要件
そこそこ卒業に必要な単位数が多く、良くも悪くも相関のコース科目を一定数受講する必要がありました。良い点としては、他分野の授業を受けることで新たな知的刺激があることです。例えば、2Aでとった計量政治学の文献講読の授業は、今まで計量系の論文を避けてきた私にとって大きな学びでした。悪い点としては、単純に単位数に拘束されることでしょうか。
②授業内容
これは強調したいのですが、相関にいて何か特定の学問分野が自動で(つまりコース科目を取るだけで)体系的に身につくことは、少なくとも半期を過ごした学生の視点からすれば、殆どないです。
そもそも相関社会科学コースの英語名称は’Interdiscprinary Social Sciences’であり、その学際性が特色です。これは学問的知識を分野横断的に捉え、専門への過度な内閉を避けることを主眼としているようです。「学問(ディシプリン)の基礎を学」び「強固な学問的基盤の上に立」つことが、この必要条件とされます。(参考:相関HP:http://www.kiss.c.u-tokyo.ac.jp/undergraduate/aboutundergraduate/ugsr/)
しかし前述のように、(どの学部でもそうだとは思いますが)相関の授業を履修するだけでは、「学問の基礎を学」び「強固な学問的基盤の上に立」つことは、少なくとも学生視点からすれば困難です。授業自体議論系や講読系が多く、いわば応用的な内容であり、基礎固めとは趣が異なります。勿論ディシプリン教育的な授業は存在するものの、議論系や講読系の応用的な授業が多い印象です。
よって(学問分野によって「学問を体系的に身につける」の意味内容自体が不明瞭というのはありますが)相関に所属しながら学問を一定程度体系的に身につけたい人は、当該学問分野の基礎部分の自学や本郷の授業などの積極的な受講を行う必要があると思います。
また、少人数の議論系科目が一定数存在するメリット/デメリットもあります。学部の授業における議論の質は、そこにいる生徒の熱意や生徒/教員が議論設計(ファシリテート)をどの程度するかに依存します。好例だと、皆真面目に文献を予習していて密度の濃い議論ができ、自分の読みを内省したり議論から新たなことを学べたりします。加えて良い議論は楽しいし、学生間や教授との距離も比較的近くなります。一方悪例だと、毎回の課題文献は多いものの受講者が十分に読み込んでおらず議論が停滞する場合、誰も議論設計や交通整理を行えず(行わず)議論が成立しない場合などがありえます(自分が盛り上げてやるぜ!という気概を持って挑むべし、ということかもしれません)。講義科目の場合、授業の質は単純に講義に依存しますが、議論系科目の場合、変数が多いです。駒場に進学する場合、人によっては初めての議論系科目だと思うのですが、当該デメリットを把握しておくと良いと思います。また、議論の内容を全体に自分で位置付ける必要も時にあるため、追加の学習が要される場合があります。メリットとしては、良い議論が行われた場合とても楽しいこと、そして教員や学生間の距離が比較的近くなることでしょうか。
これらを総合すると、相関に進学し授業を受けるに際しコース科目の質や自分への向き不向きをしっかりと見極めることが重要だと思います。特に自由度が高いコースだからこそ、見極めや学習計画には慎重にならないと苦労するはずです。逆に言えば、授業の見極めや学習計画の設計が手間な人は、相関コースのメリットである自由度の高さを享受せぬまま、ディシプリンの未学習といった事態に陥る可能性があります。
半年しか授業を受けてない分際で相関コースのデメリットを並べ立ててしまいましたが、専門への内閉を打破しようとする相関の理念には強く惹かれており、計画を立ててコース外での学習にも真面目に取り組めば相関に所属するメリットは大きいと思います。
6. アドバイス
他の寄稿者の方が同様のことを書いてるかもですが、進振りに関しては「考えすぎても仕方ない」というより「自分だけで考えても仕方ない」という側面が強い気がします。二年間真面目に勉強して自分のやりたいことが明確になるとは限らないし、記事やシラバスを読んで調べた後期課程のことも依然として推測の域を出ません。
①自分の身近にいる人と話し他者が自分の関心分野を何だと思っているか知ること、
②先輩と話し実際の学部の雰囲気を知ること、
③教授と話し実際に指導に携わる人の目から見た学部間の相違を知ること
この3つを行い、自分のことと学部のことについて考えを深めた上で選択を行うのが、最も後悔する確率が小さいのではないでしょうか。まぁ人それぞれだと思うので、私の書いたことは話半分程度に受け取ってもらえると幸いです。