「あなたはどのようにして進学先を決めましたか?」
多くの東大生が1度は頭を悩ませる、進学選択(通称「進振り」)。
——何を基準に学部・学科を決めれば良い?どんな手段で情報を集めれば良い?自分の興味・関心にどう向き合えば良い?
そんな疑問を抱く東大生に寄り添うべく、悩み抜き、考え抜いて進学先を決めた先輩たちの経験を発信する連載「進振り体験記」!
今回は、理科二類 から 工学部システム創成学科Cコース(PSI)に進学した学生の体験談です。
1. 基本情報
今回、体験をシェアしてくださった方の基本情報は以下の通りです。
◯名前:プラート アルヴィンさん
◯出身科類:理科二類
◯進学先:工学部システム創成学科Cコース(PSI)(詳細:こちら)
2. 大学に入る前
ー高校生の時にはどのようなことに関心を持たれていましたか?
高校生の時にはアンモナイトの研究をしていました。
始まりは、小学校6年生の総合学習の時間でたまたま化石を趣味にしていた先生のインタビューをすることになったときのことでした。その先生の話を聞いている自分の目がすごくキラキラ輝いていたようで、後日その先生に化石採集に誘われました。廊下を掃除していたら「ね、化石採集行かない?」って(笑)。
そして初めて山奥に化石採集をしに行った時、普段過ごしている都会の空間から非日常的な環境に入り、100,000,000年前の生き物と対面する、というエモい体験に取り憑かれたんです。同時にアンモナイトは形態的な多様性があって、世界的に見ても特異的で面白い形をしたものが日本、特に僕が住んでいた北海道では沢山採れます。昔からコレクター精神が強かったので、多様な種類を全部見つけたい!と思ったのもアンモナイトに特に惹かれた理由です。
アンモナイトという、自分が「これだ!」と思えるものに出会ってからは化石採集にのめり込んでいきました。人生をかけてもいいと思えるようなものと人生の早い段階で出会えたことは実に幸運でした。今と違って、この頃は背負っているものも少なかったので、後先考えずに思いっきり没入することができましたね。それからというもの、全ての判断軸が化石——とりわけアンモナイトだったので、基本的に物事の選択に迷うことはありませんでした。
このような感じで中学校時代までは化石採集に没入していました。ニッチな分野では同志の存在が貴重ですから、ブログを書きながら化石を趣味にした大人と接することが多かったです。おじさんばかりの焼肉に一人中学生で混ぜてもらったり。若くして大人の世界に飛び込んだので、周りよりは社会性を持っていたかもしれませんが、基本的に自分の世界の中にいました。あまり人間に興味がなかったと言っていいと思います(笑)。
でも高校2年生の時に人間と接することも増えてきて、人間と関わることの面白さを悟っていきました。社会に向けてアクションを取って影響を与えていくことにも楽しみを見出すようになり、自分を言語化して語る必要性を感じました。研究対象にのみ没頭するのではなく、社会に対してコミュニケーションできるような人物になりたいということです。ちなみに、僕はそれを「爽やかなオタク」と呼んでいました(笑)。
このきっかけとなったのが高校2年生の時に自分達で立ち上げたBLOSSOMという学生団体です。2019年に開催された 「世界津波の日高校生サミット」で総合司会を務めた経験があるのですが、崇高な理念を唱うだけではなく実行に移していく存在が必要なのではないか、という問題意識から立ち上げた団体です。また表向きでは高校生目線から防災に取り組んでいる団体でしたが、よりメタなレイヤーでは高校生が誰にも馬鹿にされず自己表現できる場所を作りたいという思いもありました。
ーサミットにはなぜ参加されたのですか?
高校時代には英語ディベートをやっており、ESS(English Speaking Society)で頑張っていました。また、化石の研究をするために中学3年生の時から英語の論文をたくさん読まないといけなかったので、高校1年生の時から息をするように英語を勉強していました。この英語力と行動力、そして強靭なメンタルが先生たちから推薦された理由だと思います。この人なら何か起こしてくれるかもしれないと思ってもらえたことは嬉しいことです。仮に最初は「与えられた」機会だったとしても、それを主体的に活かして行動の変容に繋げていくことが肝心だと思います。総合司会を務めた、そのあと国際連合のイベントに招待された、などは実績としては響きは良いですが、それを「学生団体」という具体的なアクションに繋げられたことこそに本当の価値があったはずです。
3. 学部・学科の絞り込み
ーなぜ東大の理科二類に入学されようと思ったのですか?
僕が東大を選んだ1番の理由は、それまで一貫していた古生物学者を目指す自分と、社会的な活動に取り組む自分の両方を、一番刺激的な場所で自由に伸ばしてみたかったからです。AとBという2つの選択肢があったら、僕は基本的に「AとB!」と答えます。優柔不断と思われるかもしれませんが、力の限り妥協せず両方やりたい人なのです。東大にこそ、そんな自分を受け入れてくれる思想と土壌があると思いました。そして、実際そうだったなと振り返って実感できていることは感慨深いです。
科類に関しては特に理科二類にこだわっていたわけではないけれど、研究者(古生物学者)になりたかったので、仮決めしていた自分の姿に一番近い理科二類への進学を決めました。
ー今振り返ってみて入学時からどのように興味が絞り込まれていきましたか?
入学当時興味があったのは以下の5つでした。
①教養学部 教養学科総合社会分科国際関係論コース (以下「国関」)
②理学部 生物情報学科 (以下「生物情報」)
③理学部 地球惑星環境学科 (以下「地環」)
④教養学部 統合自然科学学科統合生命科学コース (以下「統合生命」)
⑤工学部 システム創成学科C (以下「シス創C」)
■ 入学時〜2年生
まず、入学時から1年間くらい考えていたのが国関と地環です。
国関は、社会的な活動をしたいという思いの延長線上にあった選択肢でした。「世界津波の日高校生サミット」の総合司会の仕事の一環で、国際連合のイベントに招待されて登壇する機会がありました。その時に、本当に直感的に「またここに戻ってきたい」と思いました。それ以来、国際機関で働きたい、世界的なフィールドで活躍したい、という野望が生まれ、それは今も自分を突き動かしています。もちろん、理系としても国際機関に関わる道は多くありますが、このような野望の導く先の一つが国関という選択肢だったと思います。あとは、進振りに必要な点数が高いことで知られる国関を目指しておけばその他の任意の学部にいけそう、という努力目標でもありました。
一方で地環は、アンモナイトに取り憑かれていた自分の興味に一番近い学科でした。順調に大学生活が進めば、この学部に進学するのだろうなと思っていました。顧みるに、「順調」に大学生活が進むはずもなかったのですが(笑)。
■ 2年生〜決断の時期まで:生物寄りにしようかな?の期間
2年生の最初から決断の時期まで迷っていたのが、生物情報、地環と統合生命の池上研究室でした。この時点では生物寄りにしようかなあという感じで、古生物から少し発展して「生命とは」といったような抽象度の高い問いに興味を持ち始めてもいました。
進振りにおいて、僕は複数ある自分の興味を一つの学科に集約する方法をずっと考えていました。その考え方でこの時期一番有力だったのは生物情報でした。自分は情報系が比較的苦手だと自覚していたので、敢えて思い切り勉強する環境に身を置いて強くなりたいという思いと、自分は生物系の人で生物の本質的なところ(生物はどうやって誕生したのか等)を考えたいという思いから、そのどちらもできる生物情報に関心がありました。また、生物情報を卒業して現在古生物を研究されている先輩がいたということの影響も大きかったかもしれません。生物系に進めば、その気になればいつでも古生物に戻って来れそう、ということを実例を通して実感できたのは安心材料の一つでした。
地環に関しては、僕は本来アンモナイトをはじめとした化石を研究したいわけなのですが、東大は古生物学という観点では環境が最適とは言えません。アンモナイトをやっている先生がまずいない。化石一般に広げても、化石の種類や研究の手法にほぼ選択の余地がなく、自分の興味と綺麗にマッチするような先生がいなかった。でも、研究室ベースでなく学べることベースで考えれば、やはり地環が一番整合性が高いわけなんですよ。勉強したいことはできるのだけど、その先の研究室という観点から考えると結構渋い。というのが僕が地環に対して抱いていた印象でした。でも、やりたいことベースで言えば、地環で勉強する学問的なことは極論自学できると思ってしまっていたので、ちゃんと自分が行きたい研究室がある方が大事だと考えていました。だから、地環という選択肢は自分の中で重みが下がっていきました。
これとちょうど同時期に研究室ベースで池上研究室(統合生命)にも行きたかったんですよね。「生命とは何かというテーマについて、人工生命的なことを古生物の切り口から研究したら面白そう!」と思えたし、なんと古生物学のバックグラウンドを持った博士の方がいらっしゃると知り、運命まで感じました。しかし、池上先生が自分が研究室に入る頃にはご退官されるかもしれないとのことだったので挫折しました。これらのことを、学部の先輩に内情を聞いたりUT-BASEの記事を読んだりしつつ、研究室ベースで考えていました。
■ 2年生7月:シス創を選んだ理由
僕が最終的な進学先として選んだのはシス創Cでしたが、今思えば、そこに決まる必然性は二つありました。
一つ目は起業家としての自分の自覚が2Sですごく強くなったことです。そのきっかけをくれたのが「DeepTech起業家への招待」でした。この授業が僕を変えたと言っても過言ではありませんね。この授業を主催しているのが、シス創Cの坂田研究室というところでした。はじめから自分が起業家になりたいと思っていたわけではなくて、むしろ研究者気質が強いタイプだと思っていましたが、無性に何か面白いことが起こりそうという予感がしていたので参戦を決意しました。この授業の中で起業家としての自分の新たな可能性に気付き、この道で生きていくのはアリかもしれないと思い始めるに至りました。
ここで重要なのが、僕は本来理学的な研究に進むべき人だったということです。僕は古生物学者になりたかったから、基本的にアカデミアで楽しく研究していれば良かったのですが、この授業はアカデミアを目指すと同時に起業家であるという選択があるということを教えてくれました。DeepTech起業家という概念によって、「起業家的な自分(社会的な自分の具体化)」と「研究者的な自分」の両方を活かすことができるというところにも魅力を感じたのだと思います。
この授業を通して、実装を見据えた研究のテーマ選びを考えるようになりました。実はDeepTechでは、起業のベースとなる研究を持たない学部生ができることはほとんどないんですよね。でも、DeepTech起業家という概念を知ることによって進振り前に自分が進むべき道を再考できるのです。そして自分はナイーブにもその影響を直接受けてしまったわけです(笑)。
このことはもっとメタな話として、東大内の問題にも関わってきます。東大は、すごく優秀な研究がたくさんあってアカデミアとしてはとても優れているのですが、それを実装する起業家があまり育たなかったんですよね。ディープテック起業家という人材を育てることがアカデミアと社会実装の分離という東大内の問題の解決策にもなるわけです。自分はこれは日本にとっても重要だと思っています。
そんな中、東大における起業のホットスポットといえるシス創で、自分の中で芽を出し始めた起業家としての素質を生かしたいと思うようになってきました。
より大事なもう一つの必然性は、研究室でした。
僕はやはり研究室で学部を選びたかったんです。そこで僕が偶然出会ったのが宮本英昭先生の宮本研究室という、地環とシス創のはざまにいらっしゃる先生でした。宇宙地質学・宇宙資源学という分野は比喩的にも物理的にも人間のフロンティアを切り拓く学問です。先生は日本の宇宙プロジェクトのほとんど全てに関わっていらっしゃる上に、世界との繋がりも強かったので、ロマンを追いながら世界を股にかけて生きていきたい自分にぴったりのように思えました。
ー宇宙地質学と宇宙資源学ですか?古生物とは少し遠い印象を受けますが…
僕が化石という自分の興味の活かし方を考えた時に、古生物学をもうちょっと広げると地質学というのがあります。その地質学と、小さい頃から化石と共に魅力を感じていた宇宙の交差点ということで、正に自分が探していたものだと思いました。しかもかなりフロンティア性の高い領域で、常に最先端を突っ走って人類の可能性を拡大しているような領域であることも魅力でした。
この先生はメインはシス創にいながら地球惑星科学科の大学院にもいらっしゃるので、地環の文脈も持ちがらシス創内で起業家を必要としている研究室というところにも惹かれました。この研究室には自分らしさを全てぶつけることができるんだろうな、ということを7月下旬に実際に研究室見学に行き先生と話してみて改めて再認識しました。僕が東大地質部で副部長をやっているということと、「DeepTech 起業家への招待」の授業を取っていたことは宮本先生もご存知で、この研究室との親和性が非常に高いことは感じてくださったようです。先生が前のめりに「君にはこういうことをやって欲しいんだよ!」と自分に期待してくれて、いくつかテーマの提案をしてくれました。具体的には、宇宙資源学を研究しながら社会実装をすることや宇宙古生物学をやることなどです。これはもうやりたいに決まっています。研究室ベースでも、シス創に自分がいくべきであることがここで明確になりました。
ーいつ頃からシス創Cにしようと考え始めたのですか?
シス創という選択肢が出てきたのは実はギリギリ最後の方で、2年生の7月でした。一応学部学科の説明会には行ったけれど、その時には違うなと思って途中で帰ったんですよね(笑)。その時宮本先生もご登壇されていて、「地質系のこともやってるんだ、面白そう」くらいのことは思っていて若干頭の中に残っていたのを7月くらいに思い出しました。そこからシス創や宮本先生について改めて色々調べ、「これじゃん!」と思って、メールを送りました。
ーそうなると、7月にはもう決まった!という感じだったのですか?
そうですね。ただ最後の関門はシス創は理ニから行くのがめちゃめちゃ難しいということでした。多分工学部で一番難しい学科の一つだと思います。シス創は「松尾研究室」などで有名なように東大の起業のホットスポットであることもありで結構人気が高い一方、理科二類から進学できる枠は相当限られていて。
ーそこで国関を目指して点数を取り続けてきたのが生きたわけですね。
そうですね。国関を目指して積み上げてきた点数はほぼ一点も無駄にしていないと思います。
4. ターニングポイント(課外活動)
ー進振りのターニングポイントになった課外活動はありますか?
進振りのプロセスにおけるターニングポイントではありませんが、HCAP Tokyoで代表を務めた経験は自分の中でも大きいものでした。まずはひたすら抽象的な概念を捏ねくり回していたので、哲学的な思考や言語表現に強くなりました。また、今自分が取り組んでいることも、基本的にはHCAP Tokyo での出会いが出発点だったりします。
あとは、ビッグピクチャーを描いたり、自由な遊び心を持って自由な発想をすることが得意になりました。HCAP Tokyo の活動は制約が少なく、自分の裁量の大きい中で自由に面白いことを遊び心に乗じて行うのですが、それは「こんな世界あったら面白そうじゃない?」という妄想力を磨くのにとても役立ちました。「DeepTech起業家への招待」でもビッグピクチャーを描く力がとても重視されていましたし、自由の大海原の中での遊び方を覚えたことは大きな財産だと思います。
また2Sセメスターでで運営として携わった自主ゼミであるUT-Basecampも自分が進振り考えながら企画に携わっていたので良い経験だったと思います。自分の進振りに大きな影響を与えましたね。複雑系と人工生命を研究していらっしゃる池上高志先生をお呼びして、自分の興味を自分が設定したゼミの回を通して試すことができたのが特に良かったです。原体験を自分から作りに行くことは大事ですからね。
5. 葛藤・悩み
ー進振りで悩んでいたことや葛藤していたことはありますか?
振り返ると常に悩んでいましたね。自分の色々な側面をしっかり言語化して認識し直すことができましたし、それぞれにそれなりのポテンシャルを感じていたので、学科選択という行為を通じてそれを潰したくなかった。どうやったら完全な自分のままで学部に進めるんだろうということを非常に悩んでいました。
そこで僕にとってかなり重要だったのが、古生物を学ぶ学部でない学部を選んだ時、いかにアイデンティティである古生物好きの自分を殺さないようにするかということでした。「自分の好きなものから目を背けて別なところに行った人」、となるのが一番怖かったです。もちろん古生物系の研究室にも色々話を聞きに行っていて、そこでは「自分が好きなものをやれば良い」と口を揃えて言われていました。好きなものをやれと言われたらそれはもう古生物なんですよ。でもそう単純ではないんだよなぁと葛藤していたわけです。
とはいえ古生物以外にも自分は面白いことができると思っていたし、古生物に進んだら超理学系で世間が狭いので、古生物以外の自分のポテンシャルを生かしきれないとも思っていました。だから古生物はライフワーク、自分で研究し続けていくものという位置付けにしようと思いました。そうなった時に、この宮本研究室の宇宙地質学というのはその自分をまだ生かしておけるなと思いました。
6. 現在の学部・学科での生活・満足感
ー今進んでみて実際どうですか?
研究室ベースで選んだので、常に一歩先をみています。そこへのプロセスだと思えば、どんな授業でも頑張れます。
シス創は起業家的な側面が強い学科なので、面白い人が多いです。今まで学生団体で散らばっていた、面白いことを考えている人たちが集まってきたという感じです。やはり、コミュニケーション能力が高い人が多いです。学科としてとても仲が良いのでコミュニティとして強いなあと思っています。
学びとしては「DeepTech 起業家への招待」では学びきれなかった起業のより専門的な詳細を学べています。動機付けプロジェクト や ビジネス入門 などはプチ起業みたいな感じで、DeepTechの授業で培った起業家魂が燃えました。面白がってやっているのでプレゼンにも熱が入るし、プロダクトも上手く作れました。こういうことを授業の中でできるのは役に立つだろうなという感じです。
2年生は授業のコマ数が多くて大変ですが、3年生になったら履修の自由度が多くなるのがシス創の特徴です。自分の時間割を自分らしくカスタマイズすることが可能になるので、地惑の授業をはじめとした、研究室に求められそうな授業を色々な学部から選りすぐってこようと思っています。これも隠れたシス創の魅力ですね。
7. アドバイス
ー進振りが怖くて、アルヴィンさんのように課外活動や単位取得のできない授業に全力を投入することが怖い人や、追い出しに労力を割こうとする人もいると思います。そのあたりについてはどのようなマインドセットでしたか?
何事も面白がってやったもん勝ちです。頑張れば点数は取れるし、面白がってやればそれだけ結果も点数もついてくると思っていました。学期中は点数などは気にせず、自分のビジョンとかやりたいことにフルコミットしていました。単位などに対する執着もありませんでした。「DeepTech 起業家への招待」の授業に至っては訳あってフルコミットしながら聴講生の身分でしたが、単位はついてこなくても変え難い学びを得たと思います。その代わり、テスト期間は切り替えてものすごくストイックに勉強していました。もちろん魔法のように点数が出てきたわけではありません(笑)。
ー進振り先を決めるのに悩んだ時、どのようなアクションを取ったら良いでしょうか。
宮本研究室に興味を持った時に、自分の興味分野や「DeepTech 起業家への招待」に参加したことを研究室の先生にメールでしっかり伝えたら、最初から前のめりな返事を頂けました。しっかり調べて、互いのニーズをはっきりさせた状態で行くと実りが多い時間になる確率が上がります。ただ、興味があれば思い切って飛び込む勇気が大事であるという言われもあるので、その辺はバランスよくやれば良いのだと思います。
ー研究室はやはり行って損はありませんか?
そうですね。基本的に失うものは何もないです。あとは、しっかりと自分を語る言葉や内省する力は持っておいた方が良いと強く思います。日頃から周りの人に自分の思いを積極的に大きな言葉で語っていればできるようになってきます。そのために、自分のことを語れるような心理的安全性を得られるような場所や相手を見つけて欲しいですね。そういった場所さえあれば、基本的には皆建設的なアドバイスをくれると思うので。そこで語ったことは自分の力になるし、何かの機会を掴もうと思った時に「なぜ自分がこの場にいる必要があるのか」ということを説得性を持って語ることができるようになると思います。このような言語を持っていると、研究室見学でも「この人は必要だ」と思ってもらえる確率が上がると思います。
8. メッセージ
ー最後に、これから進振りを迎える1年生に向けてメッセージをお願いします。
打算的になり過ぎないないことを意識して欲しいですね。戦略的に行動する部分もありつつ、不確定性や「ゆらぎ」を自分の選択肢に対して与えておいてほしいと思います。
僕は進学先が決定する前と後で結構行動の比重を変えているんです。進学先が決定するまでは、その場その場のローカルな刺激に対して近視眼的に応答するという行動の仕方をしていました。その場で「面白い!」と思ったら後先考えずに行動していました。そのような行動の仕方をすることによって、打算的に考えていた場合に自分が絶対思っても見なかったような立ち位置に辿り着けるんですよね。だからそういう「ゆらぎ」を自分の行動に与えて欲しいです。
進学先を決めたあとは、既に自分のやりたいことが定まっているので、結構逆算的・戦略的に行動するところはして、打てる手は打っていくという行動の仕方をしています。例えば、海外院に行きたいと思った時に、どうやったらそこに辿り着けるのかということを先を見て思考するようになりました。研究室には早い段階から出入りをして、研究会などにも参加したいと思っています。
もちろんその中でもある程度のゆらぎは与えているし、ローカルな刺激にも変わらずオープンです。例えば、もし自分が起業するとすれば、いつ、どんな領域で起業するのかについてはアイデアはどこで生まれるかわからないので、色々な刺激を自由に受けて動いている側面が大きいです。基本的に何が何につながるかわからないから、どんな刺激も無駄だと思わず、遊び心を持ちながら、自分の持てるもの全てを使って取り組むと良いでしょう。その先に次の機会に繋がって、この連鎖が最初の自分が想像もしていなかったような場所に連れて行ってくれるのだろうと思っています。
UT-BASEメンバーより
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